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役行者まつり! 〜伊賀忍者ミステリーツアー〜

忍者講座を受けた後、午後からは池田先生率いるミステリーツアー参加!
歴史ある忍者スポットを訪れることができるとてもイカしたツアーにござるぜ!

まずは風流のあるお店でお昼ご飯を堪能する一行。

【やってる?】


おいしいおいしいおそばをいただいたのであった。

初めての方もいたのでみんなで自己紹介。
大学1年のピチピチの10代のくのいちや、なんとあの川上先生に忍術を習っていたという大阪の兄さんなどもいらっしゃった!!
忍者好きがどんどん集まってくるね!!

満腹になったらいざ、ツアーに出発にて候。

今回のテーマは役行者像めぐり。
役行者(役小角)は、忍術の起源となったといわれる修験道の開祖であり、頭に角がある男だ。
伊賀の街にはその名残からか、めちゃめちゃいっぱい役行者像があるらしい。
その数、なんと100体以上!!
いかにも忍者の街だったんだな、ということが伺える事実でござる。

まず向かったのは松本院。
ここには黒い役行者像が祀られているという。

【マツモトキヨシイン】


【修験宗務所だって!】


やはり忍者が好きだとどうしても気になってしまう修験道。
宗務所なんてあるんやな。。
以前修行体験はやったけど、ぜひ一度ガッツリと修行してみたいなぁ。

門をくぐると大日如来に遭遇した。
お恥ずかしながら、今まで神道には興味あったけどあんまり仏像には興味なくて、そんなに見たことなかったのだけれど・・・

【これは・・・】


九字護身法の「」!!!
真言密教の「智拳印」というらしいが、まさか最高の位を持つ仏様が「列」をやってたとは・・・
すごく気に入りました!

院では法事をやっているらしく、中は見れなかったため、黒光りする役行者像は見れないようだった。
黒光りたかったぜ・・・


続いて、午前中の講義に最も関連性の深いとあるスポットへ連れて行っていただいた。
そこは・・・

【西念寺】


えっ!
西念寺!?
服部半蔵のお墓がある寺やん!!!!
半蔵はここの寺を信仰していて、江戸に行ってどうしても建てたかったから開基したのかなぁ・・・
とか考えると、なかなかおもろい。

さて、またも門をくぐるとそこには

【冨治林の字が・・・】


この寺、なんとも冨治林という名のお墓が多かった。
「ふじばやし」って言ったらあの伝説の上忍「藤林長門守」が最も有名だろう。

先生の解説によると、もともとは「藤林」であったが、江戸時代に伊賀上野城主となった藤堂高虎の名字に「藤」が入っているため、畏れ多いとして字を変えたんだとか。
ということは、伊賀に住んでいる藤林家しかこんな不自然な名の変化はしないから、もし今後「冨治林さん」に会ったら、その人は絶対に忍者の末裔だろう。
今まではお会いしたことがないが、ぜひ東京のどっかで仕事とかでバッタリ会ってみたいものでござるw

そしてそして、、、
藤林さんには、もう1人忘れてはいけない忍者がいる。

そう、あの万川集海を書きしたためた「藤林保武」殿でござる。
なんと、その方のお墓がこの寺に眠っているというのだ!!!!

【この広い墓地の中に・・・】


【ありました!万川集海の作者の墓】


戒名で書いてあるので若干わからないが、周り一体はみんな藤林家の墓であったし、確実に彼のお墓だろう。
この下に最大忍術書を記した忍者がいると思うと・・・

ジ〜ン

としてくるでござる。
ロマン大放出でござる!


次に向かうはとある神社の前。
ここに一つの建物がござりまする。

【ポツーン】


池田先生に誘われ、中を覗いてみると・・・



【デデーン!!】


凛々しさ最高潮の役行者像が!!




筋も浮き出る逞しき像なり!

この像、市販の役行者リストにも載っていない像らしい。
池田先生だからこそ知れた秘密のスポットなのでござる!!


そしてさらに歩くこと数分・・・

【菊岡如幻邸跡】


菊岡如幻とは、あの有名な「伊乱記」を著した人物。
伊賀の郷土史などに書かれる出来事は、ほぼ菊岡如幻の著書に依るところが多いようだ。

伊乱記なんていらんし!!

・・・などと言わず、一度は呼んでみたい書物でござる。


そしてやってきました忍町。
忍者達が住んだ町にござる。


忍者の息を感じながら、ここらでちょっとブレイクタイム!!

【なんか嫌な感じのアソパソマソがあった】


【ブラックミッフィーたん】


【何か持つもの間違えた伊蔵兄貴 × 日よけする頼幸氏】



そんなこんなで城下町散策を終えた忍び衆達は、車でとある場所へ移動!!

【緑のすてきな寺院です】


【ぎょ、、行者堂!?】


おそるおそる中をのぞくと・・・
【ビッグな小角さんが!!】


これは伊賀にある行者像の中でもかなりでかい部類らしいですね。
そこら中にあるなぁ!

いい感じの寺院をぶらぶらと散策していたら、いいモノを見つけましてござる。

それは、昔とある配管工のオヤジが、カメにさらわれたお姫様を助けに旅立つお話で出てくるもの。
お姫様にたどり着くための道のりは険しく果てしない。
傷つくこともしばしば。

そんなおじさんがくじけそうなときに、助けになってくれたもの。
それは、少しだけ、ときには大幅にお姫様との距離を近づけてくれる、かけがえのないもの。
暗い闇を抜ければ、その先には新しい世界が待っている。

・・・

【いやっふうううううううううううぅぅぅぅっぅぅぅぅ!!!!!!】


嵩マルオは今日も行くのでござる。

【※その後抜けなくなったのは言うまでもない】



さて、脱線はこれくらいにして・・・w

次に向かったのはこーーーーんなだだっぴろーーーーーーいところ。


こんなところに何があるのでござろう。
写真右下に写る「ケツだけ星人」のような木々に近づいてみることに。



なんと「ケツだけ星人の木」の中には・・・

【忍者説のある観阿弥の妻であり世阿弥の母である女性の像が!】


ここは個人が建てたものなので、観光マップにも載せられないらしい。
こんなとこよく見つけたでござるよ先生!

世阿弥が伊賀で生まれているんですよね。
そりゃ忍者説も浮上してしかるべき。
伊賀に生まれただけで忍者扱いしてくれるなんていいなぁw

しかし、驚きはこれだけではなかった・・・

【母の像の近くにある田んぼ】


みんなが何か集まっているぞよ・・・?
行ってみると・・・

【!!!】


【観阿弥世阿弥の供養塔が!!!】




こんなんホント普通見つからへんで!!

池田先生曰く、何かスポットがあったら必ずその周辺も物色することだそうだ。
さすれば、関連する何かが見つかる可能性がぐっと上がるらしい。
今回の件でそれはまさにそうだと思い申した。
今後のフィールドワークのポイントとしようと思ふ。


【そしてこちらは西蓮寺】


ここには・・・

【天正伊賀の乱関連史跡が!!】


この辺りで伊賀の乱の戦場になったところがあるらしい。
やっぱり戦の跡は漢の血を煮えたぎらせますな!!

【みんなでパシャリ!!】



最後に芭蕉の森に行って、いろんな植物について学び、解散と相成りました。

【ジャングル忍者】


【ダニがいっぱいいる木に登ってしまった豹捕さんw】


【両手に華の池田先生w】


いやー!やっぱり歴史が残ったスポットを訪れるのは楽しいでござるね!
しかも一流の研究家からの解説付き。
たまらんわ〜。ホント楽しかった。

ある程度いろんなところに連れてってもらったら、自分一人でゆっくり見て回りたいですな!
あとやっぱりメモが必要だw
先生の解説が早くておいつけんかったでごわすw

===========
追伸

拍手コメントくださった「之」さん!
すみません、拍手コメントの方は返信機能がなく、ご連絡ができないのです…
もしよろしければ、↓のコメント機能でご連絡いただくか、twitterの@shinobi803までDMください!

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孫子の権威を借りた万川集海 〜忍術と孫子の兵法〜

だぁっ!!
ちょっと忙しくしている間にすっかり更新が滞ってしまった・・・

先週末も非常に濃い忍活をして参ったので綴るでござるぜ!

まずは毎度御馴染みの三重大学主催の伊賀忍術講座。

今回のテーマはなんと・・・・

孫子の兵法と忍術の関係性を探る!!!

忍術にも深く関連してくるのでこれはいずれしっかりと嗜まないとと思っていたが、専門家の先生がしっかりと研究してくれるのはとてもありがたいでござる!

ちなみに孫子のことは皆の衆はご存知でござろうが、ちょっとだけ解説。
今から約2500年も前に中国の春秋戦国時代に孫武により書かれた兵法書のことでござる。
日本における戦国時代の大名たちも、みなこぞって読んだと言われている。
その時代でも既に約2000年が経過しているにもかかわらず、多くの武将の軍術に貢献した。

しかも、それからさらに500年経った現代でも経営者の中にファンが多いと言われる孫子。
拙者も一度読んでみたが、仕事でも使えそうな教えがとても多いのでござる。
まさに戦術の虎の巻!
人間と対立について原理をズバリと書き記した研究書でござるな。

【孫武さん】


さて、今回はそんな孫子と忍術がどう絡んでいったのかを紐解いていかれるものであった。
要約すると以下のような感じでござる!


▶孫子では間諜を最も重要視しており、戦は、戦わず相手を傷つけずに屈させるのが最善であるとする。
▶そのためには敵の謀事を挫くことが肝要であり、敵のことを理解することが最善。
▶敵のことを知る手段としては、間者を使うことが重要である。よって忍者・忍術は軍法の要である。
▶万川集海では、忍者・忍術の正当性、重要性を主張するために孫氏を用いて権威づけた。

▶孫子では間者の呼称として「間諜」「遊偵」等多くの呼称を使った。その役割を悟られないためである。
▶一方で、日本での間者の役割の呼称は「忍」のみ。これは間者が用いる術が「刃」の「心」を拠り所にしているという極めて日本的な精神を反映させていることを意味する。

▶忍者の種類は5つ。「郷間」「内間」「反間」「死間」「生間」。
▶孫子の方は死んでも任務を達成することに重きを置いているが、万川集海ではとにかく生きて帰ることに重きを置く。

▶孫子はあくまで「理念」が書かれているが、万川集海は「理念+マニュアル」。
▶万川集海では「正心」や忠節心によって忍者の活動を正当化している。

といったところであろうか。

まさに万川集海は、将軍に使われる間者としての心得のみならず、具体的な方法まで書かれた忍者必携の書物でござるな!
やはり絶対に読んでおかねばなるまい。。。

講義をしてくれた先生に質問してみたのだが、万川集海はあくまで孫子に忠実に則った記載がされていて、それを真っ向から批判するような記述はなかったとのこと。
忍者からすれば使われる側なんだから
「いやいや、孫子によればそうかもしれないけど実際に間者として仕事してみると、こんなことがあるからこうした方がいいよ」
という記述があることを期待していたのだが、ないのですな。
絶対理論ではわかっていても実際にやってみるとそうはいかないところもあると思うんやけどなぁ。

まぁちゃんと読んでからコメントします!
現代語訳版ぜひ出てくれへんやろうか。。


講義内容はとてもロジカルですっごくわかりやすく為になったのだが、一番熱かったのはその後でござった。

事件はそう、、、質疑応答タイムのときに起こった・・・

ご老人「万川集海の読み方についてお聞きします。我らは奥瀬平七郎さん(有名な昔の忍者研究家)の頃から『ばんせんしゅうかい』と呼んで親しんでおりました。ですが、最近新聞などに寄稿している忍者研究家は『まんせんしゅうかい』とルビを振っております。そこでは地元民が『まんせんしゅうかい』と呼んでいるとの記載が。我々は地元民としてずっと『ばんせんしゅうかい』と呼んでますので違和感を感じています。どちらが正しいのでしょうか。」

なんと、、この「最近新聞などに寄稿している忍者研究家」とは、そう、我らが池田先生なのでござる。
そして池田先生は今日もこの講座に参加されていた。

これに呼応する形で反論する上忍・池田先生。

池田先生「今までに万川集海が家に伝えられて残っている家に2軒伺いました。その2つの家の方は確かに両者とも『まんせんしゅうかい』と呼んでいました。実際に書物を持っている家の方がそう呼ぶのであれば、本来は『まんせんしゅうかい』だったのではないでしょうか。」

この後、たまたま講座にいらしていた言語学者の先生も出てきて、激論が交わされることに!!!

結論としては「どちらもあり得る」ということでうやむやにはなったのだが、ご老人は最後に
「やっぱり『ばんせんしゅうかい』だと思います」
と言ってこの議論が終わった・・・。

当時の忍者達が一体何と呼んでいたのかとても気になる。

拙者個人的には、身内の肩を持つ訳ではないが、やはり非常にロジカルに「ま」説を主張していた池田先生に軍配が上がったと思ふ。
やはりその書物を代々受け継いでいる家が、おそらく初本を受け取ってから子孫に受け継ぐ過程で、最初は「ばんせんしゅうかい」と呼んでいたけど途中から「まんせんしゅうかい」に変わったとは思えない。
正直奥瀬氏のことはよく知らないが、実際に受け継いでいる者が呼んでいる呼称が正であるという方が自然である。
皆の衆はどう思われるだろうか。

だが、そうは思っても拙者は今後も「ばんせんしゅうかい」と呼ぶことでござろう。
だって、響きがそっちの方がかっこいいんだもの!
「まんせんしゅうかい」だとなんか「ば」よりは抜けた感じはするんだよなぁ。。。

正直現代ではおそらくどっちでもいいとは思うが、当時の人がどんな呼び方をしていたかは非常に重要な視点ではある。
今度から呼び方ひとつも要注意しておこう!

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American Ninja Mask 〜and Hachimaki〜

先日、一緒に働いている同僚がアメリカまで出張に行っていた。
そのとき、アメリカにある忍者グッズを買って来てくれたでござる!!

【マスク & 鉢巻】


あ、、、怪しい・・・・
こんなんつけて喜ぶんかいなw
ってか買う人いるんかいな!!

とりあえずあーだこーだ言っても仕方ないので、装着してみることに。

【コレデ セッシャモ アメリカンニンジャ ダ!!】


ナンカ ギンコウゴウトウ ミタイダヨ!
ッテカ メガデル スペースガ セマスギルヨ!!
チョット アッタカイヨ〜〜!!!!



・・・コレ、ドウシヨウ。。。


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忍ぶ者を撮ること 〜池田先生’s NINJALOGY〜

2年ほど前、拙者は今ほど忍者活動は禿しく、、否、激しく行っておらず、当時は登山にはまっていた。
丹沢、八ヶ岳、北アルプスなどを中心に、2週間に1度は山登りに行っていた気がするでござる。

山はイイ。
空気のおいしい大自然の中で段々と酸素が薄くなり、息も絶え絶えになりながらも頂上へ到着したとき、異様なまでの達成感と充実感を味わえる。
頂上で昼飯を自分で調理して食べると、それがカップ麺でもおいしすぎる。
寒い中、お湯を沸かしてコーヒーを飲むのもいとをかし。

そして何より、景色がすごくよい。
麓を一望すると、いつもはコンクリートに囲まれた街が小さくなり、人の生活の息づかいが聞こえる。
別の方向には生い茂った木々達。
季節によっていろんな顔色を見せてくれる。

また、山頂に陣取ったと仮定して何らかの合戦があったようにイメージするのも一興だ。
特に関ヶ原の桃配山、笹尾山、松尾山などの要所に経つと、当時の様子がまざまざと想像できる。
一気に1600年にタイムスリップしたような、そんな不思議な感覚に捕らわれる。


そんな山で見て、感じられるものを少しでも記録として残したいと思い、拙者はその頃デジタル一眼レフを購入した。
iPhoneで撮るよりも、自分の思い描く写真を撮ることができる。
いつしか山には必ずカメラが拙者の共をするようになった。
なので風景の写真についてはある程度うまく撮れるようになって来た(気がする)。


しかし、最近はどうも用途が変わってきたでござる。

忍者関係の写真が多くなって来たのだ!w

特に撮る機会が増えて来たのは「人物」。
人物を撮るのって、、、難しいでござるな。。

風景と人物の決定的な違いは「動き」。

風景には基本的に動きはない。
だから露出とかシャッター速度とかその他設定をじっくり試行錯誤しながら自分の気に入った写真を撮ることができる。
そのため、納得感のある写真を残すことが可能だ。

だが人は動く。
ポーズをとって止まっていても、まばたきとか体制が変わるとか、チャンスが限られてくる。
特にアクションシーンなどを撮るときには、決定的な瞬間を見逃すともう二度とその瞬間を撮ることはできない。
連射機能は必須でござる。
連射でいい瞬間を捉えても、シャッター速度がちょっと遅くてブレてしまったり、ホワイトバランスをミスったりで後悔することが多い。

もっと瞬時に完璧な思い描ける写真を撮れるようになりたいでござる。
忍者活動をしていて、いっぱいカッコいい仲間ができたのに、とってもカッコいいポーズをしてくれているのに、それを最大限に写真で引き出せないのが悔しい。。
申し訳ない。。
これからもきっと撮影忍に徹することが多くなるだろう。
もっと精進したいな、と最近よく感じるようになった。
皆様、腕を上げるまでもう少し待っておくんなまし!


そんな中、忍者業界きっての忍術研究家、池田先生がいつも産経新聞で連載されている忍者学に関する記事に、なんと拙者の写真を使ってくださったでござる!!!

【半蔵門線】


【半蔵門】


半蔵門の駅名と半蔵門線車両の写真は、これも動きがあるので、何回も撮り直した。
周りの人にも絶対「撮り鉄」だと思われただろう。。。w

でも自分の撮った写真がこうやって多くの人の目に触れる媒体で載せていただけるなんて・・・
感無量でござる。
池田先生には本当に感謝してもしきれないです。かたじけない!!

あとはもうちょっと人の撮り方を勉強して、うまく撮れるようになって

・・・やっぱ忍者ってカッコええな

っていろんな人に思ってもらえるように精進していきたい、そう思ったGW最終日でござった。



↑今回の記事、なんかアーティストっぽいわ〜w



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六代目・風魔小太郎が誕生! 〜天下一忍者決定戦〜

昨日予告していた「天下一忍者決定戦」に行って参ったでござる!
早速、脚の筋肉が悲鳴を上げておりまする・・・

朝の10時過ぎ、小田原に到着するとすっごい人!!
北條まつりへの期待がヒシヒシと感じられまする。
(ヒシミンが出てこないことを祈ります。。。)

【駅前に甲冑武者が!】


【小田原の街にそびえる天守閣】



乗る電車を間違えたため、武蔵一族の仲間との集合時間はとっくに過ぎている!
のんびり写真なんて撮っているバヤイではない!
ので、急いで受付まで向かいまする!

【途中で忍者姿の人が!!】

※後でわかりましたがこの人達は栃木から来た忍者さん達でござる

【うほーい!テンションあがるぜ!】


いそいそと一人で受付を済ませ、恥じらいながらも一人で本格的な忍装束に着替えるでござる。
着替えスペースで周りを見渡すとガチのアスリートばかりでござった。。

な、なんで「○○大学陸上部」ってTシャツ着てんすかw
なんでもうアップしてんすかw
ドンドンと不安になりながらも、拙者は袴の帯をキュッと締めるのであった。

選手控え場所に向かうと、見慣れた仲間達が!!
こういうとこに段々と仲間が増えて来たのはホント心強い。
未だに一人で装束は慣れないので・・・

【かげさん × ぶどう忍さん × 慈雷也さん】


【とみ丸さん】


ゼッケンをつけている忍者というのもなかなかイカしておりまするな!

そして今回お初の忍び達とも出会えました!!

【シヴァさん(後列右から2番目)】


最近伊賀之忍砦にご入会された方で、いろんな時代物の格好をされているのかっこいいなーと思っておりましたが、なんとこんな早くお会いできるとは!
↑の格好、昨日謀らずも画像アップしやしたが、戦国BASARAの風魔小太郎でござるよ!
再現率高すぎですわ!!!

※もっかいアップ


ちなみにサイボーグ009については流していただければ・・w

【柳やん丸さん】


Twitterでちょこちょこお見かけしてたけど、この方ともお会いできるとは!
役者をされているらしく、殺陣の動きを見せていただきましたがめさ格好よかったです!
小刀を使った演舞だったので、小刀二刀流使いの拙者としてはぜひ習いたいw

さて、そんなこんなで大会の説明が始まりまする。

【ぞろぞろ・・・】


100忍以上が一斉にスタートして、ゴールは同じところという大胆不敵なこのレース。
結局は抽選によって割り振られる並び順が、全てを決すると言っても過言ではない。

参加者一人一人がゼッケン番号順に折り紙でできた手裏剣を選び、その裏に書いてあるアルファベットが列を表す。
「A」は最前列。10名。
「B」は2番目の列。10名。
「C」は3番目の列。15名。
そしてその他大勢は一番後ろの列で「D」らしい。

手裏剣を受け取ったら、↓の門の先のスタート地点に並ぶことになる。


6代目・風魔小太郎の称号を手に入れるには確実に「A」をもぎとらねばならない。

そんな説明があった後、みんなで準備運動!

【シュール・・・w】


そんな中、一族の代表朱雀様が応援に駆けつけてくださいました!!
やはり代表が来るとやる気がみなぎって参ります。
お仕事の後、ありがとうございます。

さ、そんなこんなでいよいよ運命の抽選でござる。
遅刻したゼッケンNo.60の拙者が抽選をするのは60番目。
一族の仲間達は1桁台の番号のため、抽選の列の最初の方に並んでいる模様。
一体何のアルファベットを引いたかわからないが、手裏剣を見て門の向こうに消えていった。
みんな前の方に行ければいいのだが・・・

そしていよいよ拙者の抽選の番!!!
満を持して手裏剣を手に取り、裏を見てみると・・・



はいー
拙者の挑戦はここで終わりましたーw

こらあかんわ・・・
と思いながらも、でも仲間の誰かが前に行ってくれれば!と期待に胸を抱かせながら門をくぐると・・・

みんなD列に並んでおりましたw
抱腹絶倒もんの運のなさにござります!w

スタートまで待機しているとき、今度は一族のくノ一、しころちゃんも応援に来てくれたでござる!
なんとしころんお手製の、武蔵一族の巻物まで持って来てくれました!
アピールすることを誓い、力強く巻物をしかと受け取った拙者でございました。

あとはもう、一番後ろでみんなが行った後に、如何にウケを狙うか、をかげ師匠と打ち合わせ。
だが、似たような考えを持った人も一番後ろには数人いて、

(誰が一番目立つか・・・勝負だ!)

とみんな心の中で戦っておりましたw

そしていよいよスタート!!!

早速ニュースになっておりますが、トップ集団はとても熾烈な争いのようでござりました!

小田原箱根経済新聞:忍者が走る「天下一人忍者決定戦(脚くらべ)」で(小田原北條五代祭り)

頑張って前に言ったとみ丸若やぶどう忍さんのお話によると、押し合いが半端なく過酷だったようでござる。

かげ師匠と拙者は、一番後ろからいわゆる「忍者走り」で走ったり、コースを間違えてみたりと、それはまぁ微妙な取り組み方を披露したわけでござるが・・・
巻物を広げながら走ってみたりしたが、映ったかな・・・

途中からはちゃんと全力で走ったのだが、途中、刀とか小道具がバンバン落ちておりましたw
なんと財布まで落ちている始末!w
みんなガチ過ぎでしょうに・・・

と思いきや、ゴールしたとき、拙者も大事な小刀を一本落として来ておりましたw
後ろからかげ師匠が拾ってくれたみたい・・
かたじけないでござる。。。

結局優勝されたのはいかにもアスリートな方でした。
風魔小太郎の称号をもらった感想を聞かれても
「楽しかったっす!」
みたいな感じだったので、あんまり忍者とか風魔自体はどうでもいいんだろうな〜

風魔は風間さんの家系だと思うけど、その子孫の承認とか取ったんだろうか?
まぁそもそも風魔小太郎自体存在したかどうかも怪しいのでいないとは思うけど。

今後の小田原の観光につなげるなら、もっと風魔に対する熱意みたいのがあった方がいいと思うんだけどなー。お互いに。
でもこのイベント自体はすっごく楽しかった!
企画したのは大学生の方達だそう。
本当におつかれさまでした!!

今回の出場者には自前の覆面がない人には、一時期流行ったTシャツで忍者になる方法で覆面をしなければならなかったのだが、これを念頭にした参加賞がイカしてたっす!

【参加賞のTシャツ】




背中の上の方に北條家の家紋があしらわれているのだが、これを↑の方法で着ると・・・

【額当に!!】


これは日常でもやってしまうクオリティ!!
しかも素材もメッシュ加工でなかなかの手触り!!

とにかく今回もすごく楽しかった!!
城の周りとか移動してると周りの人から「忍者だ!忍者だー!」とすっごい声をかけられたw
伊賀で練り歩いているよりも関東での方がウケがいいw
やっぱ人が多いからね〜
これはチャンス!と思った次第なので、関東でも頑張ってくゾー!

みんなでご飯食べたあと、もちょっと風魔のこと調べたくて、みんなと別れたあと回ってみたけどあまり有力な情報は得られず・・
また今度ゆっくり調査に期待ですな。
小田原はいい街でござりました。

【つつじと小田原城】


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余談だが、、、(出た余談)

風魔は残念ながら襲名できなかったけど、別の畏れ多き称号を襲名しました。
その名も

2代目忍者かげ

なんとあの・・・・伊賀NINJAフェスタでも大人気だった「コレ↓」をいただいたのだ!


3枚目忍者としてはぜひとも欲しい「オイシい代物」なのであるが、これを快く拙者に託してくださったのだ!

これからはかげ師匠の意思を受け継ぎ、誰にも負けない「日本一の忍者死骸」として生きていきたいと思います。

かげ師匠、安らかにお眠りください・・・

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