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家康の命運を決めた忍びの働き 〜大関ヶ原展〜

土日諸々のイベントが重なり、ニンニンジャーを2週連続見れていないっ!
ニンニンジャーブログの運営者としてはなんたる落ち度・・・

否、拙者はニンニンジャーのブロガーではないわっ!
ニンニンジャーはまた時間があるときに更新しまするが、今日は久々の本格忍者をお届け。



大関ヶ原展開催中!

ひとまず行ってきましたよ「大関ヶ原展」!



戦国時代の中でもみんなが大好きな関ヶ原の合戦。
わずか1日で終わったとはいえ、天下分け目の戦いですからそりゃもうロマン掻き立てられまくり。
我ら武蔵一族も仕えた徳川の始祖・徳川家康が没してから今年でちょうど400年目。
家からも近いし、これはもう行くしかありませぬな!

今回は最大規模の展示がある模様。
東京・京都・福岡の三会場にて行われまする。


江戸東京博物館は桜満開!



中は大混雑にて候


今日はたまっていた有給を消化して参加したので、空いてるかと思いきや混雑しまくり。
春休み最後の日だからかでござろうか。
ゲームなどの影響からか、若い女の子もたくさんいらっしゃったでござる。

中の展示物は写真撮影禁止なので、写真はありませぬが入り口付近で・・・



なんと音声ガイドは杏ちゃんがナビゲート!
そして家康・三成の声はあの戦国無双シリーズの声優さんが登場!



関ヶ原に見る忍者の足跡


拙者は戦国時代自体が好きなので、忍者関係なく楽しめたでござる。
個人的にはあの戦国最強の武将・本多忠勝が持つ名槍「蜻蛉斬」を生で拝めたのは感激でござった!

って戦国の話つらつら書いても、このブログは忍者縛り。
やはり忍者に関係するもの少しでもないかな〜って注意しながら展示を見て廻ってたら・・・

あったでござるよ。
関ヶ原の合戦にも忍者の足跡が。

写真はとれないので大関ヶ原展公式図録より拝借いたす。

大関ヶ原展公式図録


前年、大河ドラマにもなった軍師勘兵衛の長男・黒田長政。
彼は家康率いる東軍についた。
黒田長政は毛利家の武将・吉川広家と仲が良かったのだが、毛利輝元は石田三成に西軍の総大将に担ぎあげられてしまった。
毛利家として東軍につくべきと考える吉川広家は、黒田長政に
「自分は東軍に寝返るし、毛利家は担がれてるだけだから戦う意思ないよ。
 絶対毛利家を戦わせないようにするから、所領安堵してって家康様に言っておいてよ。」
という働きかけをし、長政と広家の間で西軍寝返りの調整が開戦直前まで行われていた。

以下の書状(書状)は、黒田長政から吉川広家に対して
「毛利輝元は戦う意思ないこと、家康様もわかったよ、だって。
 家康様の書状のコピーも添付しておくね。これからもよろしくね。」
という家康が広家の主張を承認したことを伝える文書でござる。


まさに戦における調略最前線の文書なのでござるが、
ー え、それが忍者になんの関係があるの?
と思われるかもしれない。
大事なのはこの文書と共に残っていた「押紙」なのである。
※押紙=注意書きなどが書かれて文書に添えられる紙片。今で言う付箋・Post Itみたいなもの)

此書状、使者関処を通候二付、濃々に切さき笠の緒に撚り込、取帰候故、損申候
使者服部治兵衛

この書状、関所を通るときに細く切り裂いて笠の緒の中に撚り込んで帰ってきました。だからちょっとくしゃくしゃだよ。 by 使者の服部治兵衛

服部治兵衛は吉川広家に仕える家臣だったようだけど、いざ関ヶ原の合戦が始まろうというときに
・敵であるはずの黒田長政のところへバレないように赴く
・黒田長政から家康の書状の写しをもらう
・これ関所とかで見つかったら、自分も主君の広家様も西軍に殺されるぞ
・(関所にて)・・・笠の緒にの密書、どうかバレませんように・・・
・無事密書持って帰れたぜー!広家様、家康公認めてくれたよー!
っていう命からがらの情報伝達戦が行われていたということでござる。

関所の取り調べの厳しさの程度はよく知らないが、こんなヤバい文書、見つかったら即お縄。
この謀反自体を行う本人はもちろんだが、これを伝える使者もまた危ない。
絶対に失敗の許されない任務である。

しかもこれが成功しなかったら、2万を越える毛利家の大軍は東軍に向けて動いたはず。
吉川広家が家康との仲介が相成って、毛利家を動かさなかったのだから。
そういった意味でも、服部さんの仕事は大変重要なものでござった。

服部さんが忍者なのか否かは不明であるが、この姓である。
十分そういった可能性はあるであろう。
というか、職業として忍者じゃなかったとしても、使ったのは忍術そのものである。

情報にまつわる命をかけた仕事。
これこそが忍者の醍醐味ではなかろうか。
手裏剣を投げることが忍者の本質ではないのですよ。


ちなみにこの黒田長政の書状に添付されている家康の書状も関ヶ原展では見ることができる。
この家康書状に書かれている押紙にも、忍者の足跡が残されているのだが・・・
詳しく知りたい方は大関ヶ原展へGO!



終わりに


そんなこんな歴史好きにも忍者好きにも楽しめる大関ヶ原展。

公式図録に載っている「関ヶ原合戦屏風」を虫眼鏡でくまなく見つめながら

「あれ?こいつ斥候じゃね?もしかして忍者じゃね?」

みたいな楽しみ方もしばらくできそうでござる。

東京は5月17日までにて候。
ぜひ足を運ばれたし!

なお、受付で買ったチケットは服部さんを見習って、4等分に切り裂いてから入場口で見せるべし!
※本当にやって入れなくなっても責任は持ちませぬ。

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忍者の心得を百つの歌にのせて 〜三重大・伊賀連携講座「義盛百首の世界」〜

この週末、2ヶ月ぶりに伊賀に行って参りました!

2ヶ月もの間、聖地伊賀の情報収集を怠るとは忍びとして未だ未熟なり。
もう一度忍びの心得を学び直さないと行けないでござるな。

忍びの心得は、忍術書を読めば書いてある。
ただこれを一から覚えるのは至難の技でござる。

手っ取り早く忍者の心得のポイントを知るにはどうしたらよいか!?


あるんです!
忍びの精神や忍び込むときのポイントをまとめた歌が!

それは「義盛百首」と呼ばれる伊勢三郎義盛が作ったとされる「忍者の心得や忍びの極意」が詰まった和歌である。
今回伊賀で行われた忍者講座のテーマは、この義盛百首でござった。

今回は到着早々、池田先生に連れられ、始めて一番前の席に座った拙者。
できれば後ろの方でこっそりと聞いておきたかったのだが、、

しかし講座が始まるや否や、今回ばかりは一番前でよかった!って思った回でござった。
なぜなら・・・

【講師の本廣先生が綺麗すぎる!】


まさかこんな若くて綺麗な先生が教壇に立つとは思っていなかったので、一番目の前で講義を聞けたのは本当にありがたかったでござるw
内容も話半分に、拙者はただ熱心に先生のお話する姿を見ておりましたw

内容を要約すると以下のような感じ。
忍者だけでなく、「和歌」という日本文化について教養が深められたことは本当に良かったでござる。



・義盛百首とは、伊勢三郎義盛が作った(正確には作者を義盛に仮託した歌)忍術の心得を百首の5・7・5・7・7の形式で表したもので、萬川集海にも引用されている。
・伊勢三郎義盛は源義経腹心の家来。平家物語では鈴鹿山脈の山賊、義経記には上野国板鼻の住人と描かれている。
・百首とは、百個の歌をまとめたもので基本的な定数歌。主に室町時代までは、平安貴族たちの恋や四季をテーマにした雅なモノを和歌といった。
・室町時代以降に出てきた、人生や仕事の教訓を読んだ和歌を「道歌」という。この流れの中で生まれたのが兵法道歌。
・義盛百種の研究書では、江戸時代に作られたのではないか、とするものが多い。言葉も現代に近く、非常に読みやすい。
・和歌と道歌はその目的から別のモノと観念されるが、和歌の一類型として道歌を位置付けられそうである。
・義盛百首は、忍びの心得だけでなく、盗みにはいる時のコツや、忍者を使う側の武将の心得までもが詠まれている。


ひとまずはその歌の具体例を見ないと面白さは伝わらないと思うので、いくつか紹介しようと思ふ。

窃盗(しのび)には 時をしるこそ 大事なれ 敵のつかれと ゆだんする時

「忍び込むときには、そのタイミングが大事だよね。敵が疲れているときと油断している時がチャンスやぞ!」という意味でござる。
なんとなく当たり前といえば当たり前でござる。

黒墨は 万事の用に 立つぞかし しのびゆかば やたてはなすな

「黒い墨っていろんな役に立つんだよね。忍び込むときは矢立は持っていくんだよ!」という意味。
矢立とは、昔の携帯用筆記用具のことでこんなのである。

情報収集という意味だと、その情報を忘れないように性格に伝えないといけないから、書き留める筆記用具は一番重要と言っても過言ではないのでござる。
鉄製の矢立だと、手元に隠していざというときに武器になる。
また、相手に目つぶしを喰らわせたいときは墨を相手の顔にぶっかけてしまえばよい。
忍び六具の一つにもなっているので、これだけは持っていった方がええですな。

軍には 窃盗物見を つかはして 敵の作法を しりてはからへ
「戦をするときにはまずは忍者を使って物見をし、敵の情報を知ることが肝要だよ!」という意味。

前々回の孫子の講座でも間者の重要性が説かれていたし、こちらは武将などの忍者を使う側の心得ですな。

門出(かどいで)に すわりし食に もみあらば 夜討しのびの 吉事なりけり 

「出立のときに食べたご飯に籾が入っていると運がいいよ!だからきっと夜討ちはうまくいくよ!」って意味。
昔の人は縁起を担ぐのが当たり前で、どの大名も専任の占い師兼気象予報士を雇っていたぐらい。
だから吉凶を占うのは当然のことなのでござる。
しかしなんで籾が入っていると運がいいのかなぁ。。

などなど、こんな忍びにとっては知っておくべき心得やスキルなどがてんこもりなのでござる。


この講座を通して感じたのは、もうとにかく先生が美しかったということなのだが、それは一旦置いておくとして・・・

いわゆる貴族達が読んでいた百人一首などでも有名な風流のある「和歌」は、その歌の芸術性に着目したもの。
一方「道歌」は、ある特定のテーマ(例えば「蹴鞠」とか「官僚」とか)に絞ったいわゆるハウツーを紹介する歌。
と拙者は解釈したのだが、この和歌と道歌の中間のような歌はないのかなぁ、と疑問が湧いた。
(質問したかったけど時間がなかった、、、)

例えば蹴鞠だったら、蹴鞠をやる中で感じる風流というか誰もが共感する「あるある」のようなものや、その遊びの素晴らしさというものがあるはずで、その蹴鞠をやったときの思いとか、感情とかを、季語なども駆使して上手く表し、芸術へと昇華させる歌があると、蹴鞠の面白さっていとをかしく伝わるのかなぁ、と思ふ。

世の中の人が感じるものって、四季や恋だけじゃなくて、ある仕事とかスポーツとかに熱中している中で感じるモノがいっぱいあるはずで、それを特定の分野ごとに集めたらすっごく面白いのにな、って思うのでござる。
要するにアメトーーークみたいな、その分野のマニアには共感させ、知らない分野のものだと「え、それってそんなに面白いの?」と思わせるような歌だ。

道歌は「こうしろ」とか「こうするといいよ」っていうものなので、そこに風流とか思いとかの観点は入っていないはず。
だとすると人の心を動かすことが到底難しい。

もしこういった和歌と道歌の中間みたいのが集まっていたら、そしてそれが忍者にまつわるものであったなら、昔の忍者がどんな風に感じながら生きていたのかがわかるだろう。


仮に、忍者に関してこういう歌があったとしよう。

①夜討ちより 満身創痍で 逃げ帰り 愚息の寝顔に 涙溢れん

今夜は夜討ち。
侵入するもバレてしまい、任務は失敗。撤退戦を余儀なくされる。
命からがら、傷だらけになりながらもなんとか家に着く。
まだ家族は寝ている。
こんなに拙者が頑張っているのに、この愚かな息子はすやすやと眠りおって。
寺の手習いでもいつも和尚に怒られてばかりのくせに。
でも・・・生きててよかった。。。
もう一度こいつの顔が見れてよかった・・・

(評者)
いつも死と隣合わせの忍者達。
厳しい修行の成果から、死んでも食いは残さないようにしているとは思われます。
ですが、忍者も人の親であり、人の子です。
完全に残忍になれる忍者などいなかったのかもしれませんね。

②忠よりも 正なる心に 仕えたし 我が手裏剣を 打たんとぞ思ふ
いつもいつも無理難題な任務を押し付けてくる我が殿。
忠義が大事なのはわかっているが、この殿はダメだ。
私利私欲のために政治や戦を行っている。
明日の夜、手裏剣を殿のこめかみに向けて打ってしまおう。
忠誠を捨てるのは忍びとしてあるまじき行為だが、拙者は拙者の正心に正直に生きたい。

(評者)
忍びが忠を捨て、正心に目覚めた瞬間を詠んだ歌です。
忍者だって1人の人間。正しいことをしたいと思う気持ちが表れていますね。
当時の忍び達は「自分たちのしていることがいいことなのかどうなのか」と葛藤していたのでしょうね。

③あの人の 秘めたる錠を 打ち壊す 逆手苦無を 知る者はなし
前の亭主が亡くなってから一切笑顔を見せなくなった若奥方。
拙者は下人としてなんとか笑わせようと明るく接するも、心を固く閉ざす若奥方。
侵入時に使うクナイで鍵を開けようとするもできないとき、順手ではなく逆手でやってみたりするように、いろんな手を尽くしてみてもまだ笑ってくれない。
この拙者の若奥方への想いは、誰にもわからない。。

(評者)
これはある忍びの未亡人を恋する思いを深く詠み込んだ詩ですね。
この詩のポイントは逆手苦無です。
苦無は「苦しみが無い」と書きますね。
これを逆さに持っているということは「とても苦しい」ということなのでしょう。
こんな深い意味合いを持っているのです。
この詩を詠んだ忍者の心の叫びが聞こえてくるようです。
私は小倉百人一首に入れてもおかしくない出来映えだと思います!


な、、なんと・・・
評者の方から、とても光栄なお言葉をいただいてしまったでござる!
きっと次から生産される小倉百人一首は、「小倉百壱人一首」となることであろう。
次回の生産が楽しみでござるw

ってな感じでそういったのもあったらいいなぁ、と風流を愉しんだところでお開きでござるが、もし忍者に限らずともこういうのがあるようだったら、三重大学まで参上するので本廣先生に個別授業をしていただきたいでござるな!w

それにしても講義で山田先生がおっしゃっていた義盛百首のかるた、ぜひ欲しい・・・
本当に製造してくれないかな!

あとは↑で拙者がサンプルで作ったような詩で、「百『忍』一首」もぜひ作ってみたいでござるな。
「た」の文字はぜひ「嵩丸」を登場させて欲しいところでござるが、きっと多羅尾光俊とかに持ってかれるんだろうけどね!

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孫子の権威を借りた万川集海 〜忍術と孫子の兵法〜

だぁっ!!
ちょっと忙しくしている間にすっかり更新が滞ってしまった・・・

先週末も非常に濃い忍活をして参ったので綴るでござるぜ!

まずは毎度御馴染みの三重大学主催の伊賀忍術講座。

今回のテーマはなんと・・・・

孫子の兵法と忍術の関係性を探る!!!

忍術にも深く関連してくるのでこれはいずれしっかりと嗜まないとと思っていたが、専門家の先生がしっかりと研究してくれるのはとてもありがたいでござる!

ちなみに孫子のことは皆の衆はご存知でござろうが、ちょっとだけ解説。
今から約2500年も前に中国の春秋戦国時代に孫武により書かれた兵法書のことでござる。
日本における戦国時代の大名たちも、みなこぞって読んだと言われている。
その時代でも既に約2000年が経過しているにもかかわらず、多くの武将の軍術に貢献した。

しかも、それからさらに500年経った現代でも経営者の中にファンが多いと言われる孫子。
拙者も一度読んでみたが、仕事でも使えそうな教えがとても多いのでござる。
まさに戦術の虎の巻!
人間と対立について原理をズバリと書き記した研究書でござるな。

【孫武さん】


さて、今回はそんな孫子と忍術がどう絡んでいったのかを紐解いていかれるものであった。
要約すると以下のような感じでござる!


▶孫子では間諜を最も重要視しており、戦は、戦わず相手を傷つけずに屈させるのが最善であるとする。
▶そのためには敵の謀事を挫くことが肝要であり、敵のことを理解することが最善。
▶敵のことを知る手段としては、間者を使うことが重要である。よって忍者・忍術は軍法の要である。
▶万川集海では、忍者・忍術の正当性、重要性を主張するために孫氏を用いて権威づけた。

▶孫子では間者の呼称として「間諜」「遊偵」等多くの呼称を使った。その役割を悟られないためである。
▶一方で、日本での間者の役割の呼称は「忍」のみ。これは間者が用いる術が「刃」の「心」を拠り所にしているという極めて日本的な精神を反映させていることを意味する。

▶忍者の種類は5つ。「郷間」「内間」「反間」「死間」「生間」。
▶孫子の方は死んでも任務を達成することに重きを置いているが、万川集海ではとにかく生きて帰ることに重きを置く。

▶孫子はあくまで「理念」が書かれているが、万川集海は「理念+マニュアル」。
▶万川集海では「正心」や忠節心によって忍者の活動を正当化している。

といったところであろうか。

まさに万川集海は、将軍に使われる間者としての心得のみならず、具体的な方法まで書かれた忍者必携の書物でござるな!
やはり絶対に読んでおかねばなるまい。。。

講義をしてくれた先生に質問してみたのだが、万川集海はあくまで孫子に忠実に則った記載がされていて、それを真っ向から批判するような記述はなかったとのこと。
忍者からすれば使われる側なんだから
「いやいや、孫子によればそうかもしれないけど実際に間者として仕事してみると、こんなことがあるからこうした方がいいよ」
という記述があることを期待していたのだが、ないのですな。
絶対理論ではわかっていても実際にやってみるとそうはいかないところもあると思うんやけどなぁ。

まぁちゃんと読んでからコメントします!
現代語訳版ぜひ出てくれへんやろうか。。


講義内容はとてもロジカルですっごくわかりやすく為になったのだが、一番熱かったのはその後でござった。

事件はそう、、、質疑応答タイムのときに起こった・・・

ご老人「万川集海の読み方についてお聞きします。我らは奥瀬平七郎さん(有名な昔の忍者研究家)の頃から『ばんせんしゅうかい』と呼んで親しんでおりました。ですが、最近新聞などに寄稿している忍者研究家は『まんせんしゅうかい』とルビを振っております。そこでは地元民が『まんせんしゅうかい』と呼んでいるとの記載が。我々は地元民としてずっと『ばんせんしゅうかい』と呼んでますので違和感を感じています。どちらが正しいのでしょうか。」

なんと、、この「最近新聞などに寄稿している忍者研究家」とは、そう、我らが池田先生なのでござる。
そして池田先生は今日もこの講座に参加されていた。

これに呼応する形で反論する上忍・池田先生。

池田先生「今までに万川集海が家に伝えられて残っている家に2軒伺いました。その2つの家の方は確かに両者とも『まんせんしゅうかい』と呼んでいました。実際に書物を持っている家の方がそう呼ぶのであれば、本来は『まんせんしゅうかい』だったのではないでしょうか。」

この後、たまたま講座にいらしていた言語学者の先生も出てきて、激論が交わされることに!!!

結論としては「どちらもあり得る」ということでうやむやにはなったのだが、ご老人は最後に
「やっぱり『ばんせんしゅうかい』だと思います」
と言ってこの議論が終わった・・・。

当時の忍者達が一体何と呼んでいたのかとても気になる。

拙者個人的には、身内の肩を持つ訳ではないが、やはり非常にロジカルに「ま」説を主張していた池田先生に軍配が上がったと思ふ。
やはりその書物を代々受け継いでいる家が、おそらく初本を受け取ってから子孫に受け継ぐ過程で、最初は「ばんせんしゅうかい」と呼んでいたけど途中から「まんせんしゅうかい」に変わったとは思えない。
正直奥瀬氏のことはよく知らないが、実際に受け継いでいる者が呼んでいる呼称が正であるという方が自然である。
皆の衆はどう思われるだろうか。

だが、そうは思っても拙者は今後も「ばんせんしゅうかい」と呼ぶことでござろう。
だって、響きがそっちの方がかっこいいんだもの!
「まんせんしゅうかい」だとなんか「ば」よりは抜けた感じはするんだよなぁ。。。

正直現代ではおそらくどっちでもいいとは思うが、当時の人がどんな呼び方をしていたかは非常に重要な視点ではある。
今度から呼び方ひとつも要注意しておこう!

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武蔵一族祖先・柴田日向守の眠る地へ! 〜随徳寺〜

この「萬川集海」のブログもついに100エントリ目でござる!!
これまで読んでくださった方、有り難き幸せでござります!!

1記事1記事が長いのでそんなに更新もできず、しかも読んでくれた人からは

「長いよね・・・」

と言われるけど(笑)、twitterやfacebookと違って、文字数を気にすることなく自分の好きなことを書けるのがブログのよいところ!
今後とも長いけど中身はそんなにないブログ(笑)を徒然とつづっていきまする!


さて、記念すべき100記事目のエントリに何を持ってこようかと考える朝。

今、忍者「嵩丸」として全国的にも仲間ができ、いろんな忍者情報も入って来て非常に楽しく活動させてもらっているが、これはやはり最初にお声をかけていただいた江戸忍者一族「武蔵一族」のおかげ。
代表である柴田朱雀様にお声がけいただかなければ、こんなに世界は広がらなかったであろう。

ということで日頃の感謝を込めて、しっかりと御礼をお伝えしたく、今日は柴田日向守剛中が眠るといわれる菩提寺にお墓参りに行って参りました。

以前朱雀様が見つけてくださった、昭和初期に書かれた柴田日向守のお墓に関する本の情報を頼りに、東京は台東区鴬谷・入谷にある「随徳寺」へ。

【日比谷線入谷駅 B2出口から徒歩3分】


完成な住宅街のなかに、ひっそりとそのお寺は佇んでいました。

【随徳寺】



あったあった!!
テンションを上げながらさっそくお墓密集地帯に潜入させていただきました!!

【びっしりとひしめいております】


(失礼いたします〜)
と小声でつぶやきながら1つ1つお墓を丹念に調べまする。
なかなか見当たらない。
事前情報では1.2m、幅1.8mほどのそこそこ大きな墓碑のようなのだが。。

しばらくすると、大きさは違うのだが、柴田家のお墓を2つほど見つけました!!




だが事前情報によると、柴田日向守のお墓は明治に作られたはずで、これらはあまりにも新しすぎる。
下のお墓は大正にできたもので大分年期が入っていたが、記されている戒名が違う。
多分家紋も違う。

他はどこを見渡してもないので途方に暮れていたところ、たまたまお寺の人がいらっしゃったので聞いてみることに。

嵩丸「柴田日向守のお墓ってここにありませんでしょうか?」

お寺の方「誰ですかそれ?」

なんと、、、お寺の方も認識をしていないようだ・・・!!

徳川幕府の外国奉行で活躍した人であることや、事前に調べた調査結果をお話して「へぇ〜」と納得してもらったが、今の寺の者でその人のことを知っている者はいないだろう、とのことであった。

うっそ〜んw

話を聞く限りだと、大正12年に起きた関東大震災でこの辺りも墓が崩れまくり、復興の過程で引き取り手がいない場合は処分してしまった可能性もある、とおっしゃっていた。
だが、随徳寺で日向守の墓碑を研究した情報が載っている墓碑史跡研究書の発行日は昭和2年。
もし原稿が5年以上前に書かれたものでなければ、確かに昭和に入ってからも存在するはずである。

調べた情報はデマだったのかな。。どっか違うお寺なのかな、、、と諦めた瞬間・・・

お寺の方「江戸時代からずっと過去帖が残っているのですが、よかったら見てみましょうか?」

と提案してくださったのです!


以前自分の家系のルーツを探ろうとしたときに存在を知った過去帳。
(菩提寺が九州なので、結局まだ何もしてないけどw)
その寺の檀家や信者の俗名、戒名、死亡年月日を記す帳簿のことでござる。
歴史ある寺だと江戸時代から残っているものなのでござるな!!

お寺の方が家に入り、待つこと数分・・・

めちゃめちゃいい感じに歴史を感じさせる色あせた帳簿が出て参った!

その表紙には「明治10年 過去帖」と記載がありまする。
他の方のお名前などもあるので周りは隠されたけど、ちょうど日向守の没した日、明治10年8月24日の欄に

「金剛院釋光中居士  俗名柴田剛中」

とあるではないかッ!!!!


確かにこの寺にあったのだ。
武蔵一族の祖先である日向守のお墓が。

そしておそらくであるが、日向守様はいまちょうど拙者が立っている場所辺りでお眠りになっているのだ。
その後どこに行ってしまったかのかはわからないが。。。

お寺の方に「また子孫の朱雀様を連れてきますので何かわかったら教えてください!」とお伝えしました。
血を引いている彼女だったら見つけるかもしれない。
ぜひともひいお爺さんに合わせてあげたいです。

門から出たところで、もう一度手を合わせ、その場を後にする。

いつもありがとうございます!
これからも武蔵一族を盛り上げて参りますので見守っててくださいませ!

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元カリスマ予備校講師による忍者史講座(汗)! 〜JICA「忍者史・秘密結社」〜

日々いろんな忍者活動をしているが、今日は久々にかなりの衝撃が走った日でござったw

今日は月1回の武蔵一族の忍術講座。
忍者の心法について。
非常に難しいが大事なことを教えてもらったっす。
習得までには一生かかるんだろうなぁ。


そして夜から池袋で、とある講演に参加して来たでござる。
なんと元代々木ゼミナールや早稲田ゼミナールでカリスマ予備校講師として有名を馳せた、竹内睦泰さんが忍者史と秘密結社について講演をするというのでござる!

拙者も大学受験のときマイナーな予備校に行ってたので存在は知らなかったが、、、
今思うと周りの代ゼミに行っていた友人で日本史は竹内がどうのこうのって言ってた気がする。
時期もそんくらいだったし。

▼昔の竹内氏の講義



この動画も講演が終わってから探したのだが、いやー、やっぱり熱くて覇気がありまするね。
高校のときは歴史なんて嫌いだったので、政治経済を選んだ口だったけど(笑)これだったら受けてみたいでござる。
しかも、古神道協会の理事長をやっていたり、第73世武内宿禰・南朝小倉宮正統竹内文書伝承者というプロフィールがあったりと、絶対凄い人で凄い話が聞けるんだろうなぁ、と楽しみにしており申した。

wikipedia:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E5%86%85%E7%9D%A6%E6%B3%B0

だが、、、、
この後すぐにわかるのだが、時の経過というものは、ときに人を残酷な方向へと導いていくのである。。。


今日の忍務は、午後イチの忍術教室を一緒に受けた冨丸若と一緒!
冨丸若は歌舞伎の女形もできそうなほど端正な顔立ちをしている忍びでござる。
仕事も同じ業界で、いろんな面白いことに興味津々なおもろい武蔵一族の仲間です!

【冨丸若(FBから勝手にw)】


19時10分前に池袋の東京芸術劇場内のミーティングルームへ到着。
ロビーに行くとソファで冨丸若が寝っ転がりながら伊賀忍者検定の公式テキストを読んでおりましたw

そして部屋に入り待機。
決して広くないけれど、席は一応ほとんど埋まっておりました。
周りの人を見渡すと、なんかバッジ?のようなものを机の上に置いている人がいる。
どっかの社員の人なのかな?くらいしか思わなかったけど。。。

待つこと数分・・・

ギュイーンン!!!!
ジャジャジャジャーーーーーーーン♪


と、どこからともなくビジュアル系バンドテイストの音楽が鳴った(スタッフらしき人がiPhoneを鳴らしてたw)と思ったら・・・

竹内氏が入って参りました!


すると周りは拍手喝采!
正直ようわからずついていけなかったが、まあいい!w
きっとよくある予備校時代のパフォーマンスなのだろうw

こうして講演が始まったのだが、、、いきなりでっかい声で

竹内氏「こんにちは!!!あqwせdrftgyふじkろp; です!」


嵩丸(・・・・?)

竹内氏「こんにちは!!!!!!!!!!!」

周りの参加者「こんにちは!!」

何を言ったのかわからなかった・・・
一気に異様な空気感を感じ取った拙者でござった。

そして続けてこうおっしゃいました。

竹内氏「我が竹内家は、代々同一人物なんでしゅ。先祖の意識を全て承継するんでふ。先祖が何を行ったのか、誰とチューしたのか、誰とエッチをしたのかすべてわかるんです。ぐへへへへ。」

嵩丸(・・・!?)

竹内氏「今回は忍者史と秘密結社ということで話しまし。みなしゃんが忍者に興味があるのか、秘密結社に興味があるのかわかりましぇんが、ここに来ている皆さんは秘密結社の会合に来ているのと同じでし。そうでし。みなさんはもうアウトでし!ケケケ・・・」

参加者一同「ぐわはははははははははははははは!!!!!!!」

嵩丸(・・・・・・・・・!!?!?!?!?!?!!?!)

なんだこの宗教的なノリは。新興宗教的な雰囲気は・・!
終わった。。。
拙者は来ては行けないところに来てしまったのだ・・・

拙者はそう思ってさっき払った5000円の行方を考えはじめたのであった。。。

上に紹介した動画とは全然違う。
滑舌がとても悪く、目つきもなんかやばい。。。
一体何があったのか。。。

▼最近の竹内氏の感じ(なんか怪しくなっている・・・)


話し方と何度も同じレベルの下ネタがとっても気になり、内容にあまり集中できませんでした。。
まぁ、もしかしたらパフォーマンスなのかもしれないが。。。
ちょっと拙者には受け入れることができなかったでござる。

しかも周りの人も信者のようにこの方のお話で笑っている。
特に後ろの人なんかサクラのように「へぇ〜」とか「おもしろすぎる」とかつぶやいていた。

やっぱり雰囲気とか話し方とか見た目って大事でござるな。
もっと昔のハキハキしたときの竹内氏の話を聞きたかったでござるよ。


さて、肝心の忍者史の内容といえば、確かに一般の方には「へぇ〜」という内容だったと思うが、拙者にとっては特に真新しいことはなかったでござる。
大和時代を先祖に持つ竹内家だけあって、最初に志能備として働いた大伴細人のところが、一般的に世に出ている情報よりは少し詳細に説明を受けられた、というところくらい。

行く前に竹内氏のブログだけ読んでたのだが、ここに書いてある内容どおりの講演でした。
これを読んでおけば十分かと思いまふ。

▼日本歴史文化研究機構ブログ
http://plaza.rakuten.co.jp/takeuchisukune/diary/201304230000/

だが、最後に参加費に見合う(?)プレゼントをいただきましたw

【前の席の人が持っていたバッジ!!】


や、、やったーーーー!w


帰りに冨丸若とそのご友人と一緒に、今回の衝撃の余韻に浸りながら、そしてこのバッジの使い方を相談しながら、つけ麺を食べました。

でも公家の武術である竹内流という流派の話はおもしろかったす!
公家は、首と肩で短刀を挟み、そこから抜くのですと!
あんまり「それ使えなくね?」って思ったけど!w

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