忍者ブログ

≪ 前の記事

次の記事 ≫

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

comments

孫子の権威を借りた万川集海 〜忍術と孫子の兵法〜

だぁっ!!
ちょっと忙しくしている間にすっかり更新が滞ってしまった・・・

先週末も非常に濃い忍活をして参ったので綴るでござるぜ!

まずは毎度御馴染みの三重大学主催の伊賀忍術講座。

今回のテーマはなんと・・・・

孫子の兵法と忍術の関係性を探る!!!

忍術にも深く関連してくるのでこれはいずれしっかりと嗜まないとと思っていたが、専門家の先生がしっかりと研究してくれるのはとてもありがたいでござる!

ちなみに孫子のことは皆の衆はご存知でござろうが、ちょっとだけ解説。
今から約2500年も前に中国の春秋戦国時代に孫武により書かれた兵法書のことでござる。
日本における戦国時代の大名たちも、みなこぞって読んだと言われている。
その時代でも既に約2000年が経過しているにもかかわらず、多くの武将の軍術に貢献した。

しかも、それからさらに500年経った現代でも経営者の中にファンが多いと言われる孫子。
拙者も一度読んでみたが、仕事でも使えそうな教えがとても多いのでござる。
まさに戦術の虎の巻!
人間と対立について原理をズバリと書き記した研究書でござるな。

【孫武さん】


さて、今回はそんな孫子と忍術がどう絡んでいったのかを紐解いていかれるものであった。
要約すると以下のような感じでござる!


▶孫子では間諜を最も重要視しており、戦は、戦わず相手を傷つけずに屈させるのが最善であるとする。
▶そのためには敵の謀事を挫くことが肝要であり、敵のことを理解することが最善。
▶敵のことを知る手段としては、間者を使うことが重要である。よって忍者・忍術は軍法の要である。
▶万川集海では、忍者・忍術の正当性、重要性を主張するために孫氏を用いて権威づけた。

▶孫子では間者の呼称として「間諜」「遊偵」等多くの呼称を使った。その役割を悟られないためである。
▶一方で、日本での間者の役割の呼称は「忍」のみ。これは間者が用いる術が「刃」の「心」を拠り所にしているという極めて日本的な精神を反映させていることを意味する。

▶忍者の種類は5つ。「郷間」「内間」「反間」「死間」「生間」。
▶孫子の方は死んでも任務を達成することに重きを置いているが、万川集海ではとにかく生きて帰ることに重きを置く。

▶孫子はあくまで「理念」が書かれているが、万川集海は「理念+マニュアル」。
▶万川集海では「正心」や忠節心によって忍者の活動を正当化している。

といったところであろうか。

まさに万川集海は、将軍に使われる間者としての心得のみならず、具体的な方法まで書かれた忍者必携の書物でござるな!
やはり絶対に読んでおかねばなるまい。。。

講義をしてくれた先生に質問してみたのだが、万川集海はあくまで孫子に忠実に則った記載がされていて、それを真っ向から批判するような記述はなかったとのこと。
忍者からすれば使われる側なんだから
「いやいや、孫子によればそうかもしれないけど実際に間者として仕事してみると、こんなことがあるからこうした方がいいよ」
という記述があることを期待していたのだが、ないのですな。
絶対理論ではわかっていても実際にやってみるとそうはいかないところもあると思うんやけどなぁ。

まぁちゃんと読んでからコメントします!
現代語訳版ぜひ出てくれへんやろうか。。


講義内容はとてもロジカルですっごくわかりやすく為になったのだが、一番熱かったのはその後でござった。

事件はそう、、、質疑応答タイムのときに起こった・・・

ご老人「万川集海の読み方についてお聞きします。我らは奥瀬平七郎さん(有名な昔の忍者研究家)の頃から『ばんせんしゅうかい』と呼んで親しんでおりました。ですが、最近新聞などに寄稿している忍者研究家は『まんせんしゅうかい』とルビを振っております。そこでは地元民が『まんせんしゅうかい』と呼んでいるとの記載が。我々は地元民としてずっと『ばんせんしゅうかい』と呼んでますので違和感を感じています。どちらが正しいのでしょうか。」

なんと、、この「最近新聞などに寄稿している忍者研究家」とは、そう、我らが池田先生なのでござる。
そして池田先生は今日もこの講座に参加されていた。

これに呼応する形で反論する上忍・池田先生。

池田先生「今までに万川集海が家に伝えられて残っている家に2軒伺いました。その2つの家の方は確かに両者とも『まんせんしゅうかい』と呼んでいました。実際に書物を持っている家の方がそう呼ぶのであれば、本来は『まんせんしゅうかい』だったのではないでしょうか。」

この後、たまたま講座にいらしていた言語学者の先生も出てきて、激論が交わされることに!!!

結論としては「どちらもあり得る」ということでうやむやにはなったのだが、ご老人は最後に
「やっぱり『ばんせんしゅうかい』だと思います」
と言ってこの議論が終わった・・・。

当時の忍者達が一体何と呼んでいたのかとても気になる。

拙者個人的には、身内の肩を持つ訳ではないが、やはり非常にロジカルに「ま」説を主張していた池田先生に軍配が上がったと思ふ。
やはりその書物を代々受け継いでいる家が、おそらく初本を受け取ってから子孫に受け継ぐ過程で、最初は「ばんせんしゅうかい」と呼んでいたけど途中から「まんせんしゅうかい」に変わったとは思えない。
正直奥瀬氏のことはよく知らないが、実際に受け継いでいる者が呼んでいる呼称が正であるという方が自然である。
皆の衆はどう思われるだろうか。

だが、そうは思っても拙者は今後も「ばんせんしゅうかい」と呼ぶことでござろう。
だって、響きがそっちの方がかっこいいんだもの!
「まんせんしゅうかい」だとなんか「ば」よりは抜けた感じはするんだよなぁ。。。

正直現代ではおそらくどっちでもいいとは思うが、当時の人がどんな呼び方をしていたかは非常に重要な視点ではある。
今度から呼び方ひとつも要注意しておこう!

拍手[0回]

PR

1 comments

Comment

2013.05.22 at 23:55   | Edit

今回行けなかったからレポ嬉しいわー\(^o^)/
バトル恐ろしそうやなw
ばんせんしゅうかい だと今まで思ってたから呼んじゃうよねー
でも最近ちょっと『ま』に慣れてきた!

質疑応答の半分がこの議論だったよw
ばんせんまんせんバトルはしはらく終わりがみえなそうですな!
本当はどっちだったんだろうねー

From Master | 2013.05.23 at 23:10