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歴史人Presents 忍城探検ツアー!
Posted on Saturday, Nov 10, 2012 19:24
忍城。
別名「浮き城」。
現在の埼玉県行田市に位置する成田氏が築城した城でござる。
拙者、昔までは「絶対忍者の城だ!」と思っていたが、忍者は関係ないっすw
現在、絶賛大人気公開中の「のぼうの城」の舞台となっている城でござる。
そして今日、いつも楽しく読ませていただいている歴史雑誌「歴史人」主催の、忍城ツアーに行って参ったでござる!
歴史アナリスト・外川敦先生を迎えてのツアーでござった。
参加者は12名くらい。
やはり年齢層は高め。。
JR高崎線の吹上駅からバスで約20分。
そこに忍城跡と郷土資料博物館が見えてきた。
まずは行田市郷土資料館にIN!!
※館内は写真撮影禁止のため、写真はなし。。。
館内では、頭が前髪中央部から禿げ上がるも、右側の横髪を中央に寄せて頭皮を隠そうとしているが隠せていない、海原はるか師匠のような風貌の学芸員の方が、忍城の歴史について説明してくださった。
行田市付近を治めていた成田氏。
この近辺はまっさらな平地で雨が降っても水が流れないため、田んぼを作るには適した地域であるという。
そして「田が業(おこ)る」地域であることから、「業田(ぎょうだ)」→「行田」という地名になったと言われているそうな。
また、この近辺の者達は、「田が成る」ことから「成田」姓を名乗ったのが興りらしい。
忍城は、のぼうの城で石田三成の水攻めの方が有名だが、かつて上杉謙信もこの城を攻めていたという。
それでも落とせないこの城、昔の全体図を見れば攻めるのは困難であることがわかろう。
拙者の手元にはないのでリンクだけしておくが、このとおり、水に守られたなんとも攻め難い要塞である。
【撮影禁止なはずなのに何故か写真にとられてUPされている館内の忍城模型図】
↑のリンク先画像に映っている、右下の天守閣のような建物がお見えになるだろうか。
これが「御三階櫓」というただの櫓なのだが、忍城では、これがあたかも天守であるかのようにアピールされているのでござる。
ってか普通これが天守だって思うよな。
はるか師匠による、この地域を治めた成田氏や、その後の領主松平氏の歴史の説明を受けた後、その御三階櫓に登る。
【外から見た御三階櫓】
外川先生によると、実際には以前に取り壊されているので、復元したものなのだが、関東の城の復元は、どうも小田原城に似せよう似せようとしてしまうらしく、なんとなくやはり造りが小田原城っぽかった。
この櫓が立っているところは本丸なのだが、本当は本丸にこんな櫓はないし、城郭の位置もめちゃくちゃだそう。。
戦国時代の頃の土塁と位置関係的に一致しているのは、2〜3カ所くらいしかないとのことだった。
今まで一人で回ってた城は、そういう視点で見たことがなかったので、かなり勉強になった。
ということは、これまでその地に立って
「ここから忍び込めば・・・」
とか妄想していたのも、位置的には全然違ったのかもしれない。。
妄想のし直しや。。
【本丸土塁。ここは一致しているらしい】
【矢狭間にこんなバリエーションがあっていいのかw】
【紅葉は綺麗でした】
【忍城趾】
忍城を後にし、今度はさきたま古墳群へ!
3kmくらい歩かされたw
【でもその途中に、本当の御三階櫓の跡地が!】
【のぼうの城にて佐藤浩市演じる正木丹波守利英の墓】
そして拙者が一番行きたかった、石田三成が布陣した丸墓山古墳に到着!
【丸墓山古墳】
【頂上からの景色】
【向こうの方に忍城が見える!】
秀吉が水攻めした備中高松城は盆地にあったため、半分だけ堤防を作ればよかったのだが、ここは見ての通り、スゴーくまっさらな平地である。
いくら川に挟まれているとはいえ、水攻めは相当困難だったろう、と外川氏は言っていた。
おそらく秀吉が水攻めをやりたいと無理を言い、三成はそれを承って、失敗しても自分の責任としたのだろう、とのこと。
上司の失敗とするわけにはいかぬからな。
それが元で、三成は戦下手と称されてしまったのではないかと語っていた。
拙者は関ヶ原にいったときも、三成が布陣した笹尾山に登ってみたのだが、その地に立って、当時武将達がここから戦況を把握し、諸々の策を練っていたのだろうと考え、その考えを追随していると、何時間でも入れる気がしてくるのだから不思議である。
本で読んで知るのも限界があり、やはりその地に昔、その人がいた、という事実は、ロマンに浸る絶好のおかずであると思っている。
そう考えると、昨日見た映画のワンシーンでの、石田三成が眺める忍城の情景は、やはり今日登ったそれと位置や高さ的にも同じで面白かった。
忠実に作ってるんやなぁ。
例えばこの陣にいる大将に呼ばれて、潜入の命を受け、ここから城までのルートと潜入ルートを考えたりすると、もうワクワクが止まりまへんw
合戦と言えば武将だが、一度忍者目線の合戦、という話が見てみたいでござるな。
今度また妄想してみようw
そんなこんなで歴史人ツアーは終了。
専門家の解説ありでの鑑賞はおもしろかった!
でも、ツアーだとどうしても団体行動なので、ゆっくり見れないのもこれ事実。
そうすると妄想の時間がなくなってしまふw
一度ツアーで行って、別の機会に一人で行くってのがよいかもしれないでござるね。
そしてなんと、、、3月には、歴史人プレゼンツで「三国志の集い」があるらしい!
忍者とはあまり関係ないかもしれないが、、三国志も好きなので行きたい。。。
今後もKKベストセラーズさんには目が離せないっす!
別名「浮き城」。
現在の埼玉県行田市に位置する成田氏が築城した城でござる。
拙者、昔までは「絶対忍者の城だ!」と思っていたが、忍者は関係ないっすw
現在、絶賛大人気公開中の「のぼうの城」の舞台となっている城でござる。
そして今日、いつも楽しく読ませていただいている歴史雑誌「歴史人」主催の、忍城ツアーに行って参ったでござる!
歴史アナリスト・外川敦先生を迎えてのツアーでござった。
参加者は12名くらい。
やはり年齢層は高め。。
JR高崎線の吹上駅からバスで約20分。
そこに忍城跡と郷土資料博物館が見えてきた。
まずは行田市郷土資料館にIN!!
※館内は写真撮影禁止のため、写真はなし。。。
館内では、頭が前髪中央部から禿げ上がるも、右側の横髪を中央に寄せて頭皮を隠そうとしているが隠せていない、海原はるか師匠のような風貌の学芸員の方が、忍城の歴史について説明してくださった。
行田市付近を治めていた成田氏。
この近辺はまっさらな平地で雨が降っても水が流れないため、田んぼを作るには適した地域であるという。
そして「田が業(おこ)る」地域であることから、「業田(ぎょうだ)」→「行田」という地名になったと言われているそうな。
また、この近辺の者達は、「田が成る」ことから「成田」姓を名乗ったのが興りらしい。
忍城は、のぼうの城で石田三成の水攻めの方が有名だが、かつて上杉謙信もこの城を攻めていたという。
それでも落とせないこの城、昔の全体図を見れば攻めるのは困難であることがわかろう。
拙者の手元にはないのでリンクだけしておくが、このとおり、水に守られたなんとも攻め難い要塞である。
【撮影禁止なはずなのに何故か写真にとられてUPされている館内の忍城模型図】
↑のリンク先画像に映っている、右下の天守閣のような建物がお見えになるだろうか。
これが「御三階櫓」というただの櫓なのだが、忍城では、これがあたかも天守であるかのようにアピールされているのでござる。
ってか普通これが天守だって思うよな。
はるか師匠による、この地域を治めた成田氏や、その後の領主松平氏の歴史の説明を受けた後、その御三階櫓に登る。
【外から見た御三階櫓】
外川先生によると、実際には以前に取り壊されているので、復元したものなのだが、関東の城の復元は、どうも小田原城に似せよう似せようとしてしまうらしく、なんとなくやはり造りが小田原城っぽかった。
この櫓が立っているところは本丸なのだが、本当は本丸にこんな櫓はないし、城郭の位置もめちゃくちゃだそう。。
戦国時代の頃の土塁と位置関係的に一致しているのは、2〜3カ所くらいしかないとのことだった。
今まで一人で回ってた城は、そういう視点で見たことがなかったので、かなり勉強になった。
ということは、これまでその地に立って
「ここから忍び込めば・・・」
とか妄想していたのも、位置的には全然違ったのかもしれない。。
妄想のし直しや。。
【本丸土塁。ここは一致しているらしい】
【矢狭間にこんなバリエーションがあっていいのかw】
【紅葉は綺麗でした】
【忍城趾】
忍城を後にし、今度はさきたま古墳群へ!
3kmくらい歩かされたw
【でもその途中に、本当の御三階櫓の跡地が!】
【のぼうの城にて佐藤浩市演じる正木丹波守利英の墓】
そして拙者が一番行きたかった、石田三成が布陣した丸墓山古墳に到着!
【丸墓山古墳】
【頂上からの景色】
【向こうの方に忍城が見える!】
秀吉が水攻めした備中高松城は盆地にあったため、半分だけ堤防を作ればよかったのだが、ここは見ての通り、スゴーくまっさらな平地である。
いくら川に挟まれているとはいえ、水攻めは相当困難だったろう、と外川氏は言っていた。
おそらく秀吉が水攻めをやりたいと無理を言い、三成はそれを承って、失敗しても自分の責任としたのだろう、とのこと。
上司の失敗とするわけにはいかぬからな。
それが元で、三成は戦下手と称されてしまったのではないかと語っていた。
拙者は関ヶ原にいったときも、三成が布陣した笹尾山に登ってみたのだが、その地に立って、当時武将達がここから戦況を把握し、諸々の策を練っていたのだろうと考え、その考えを追随していると、何時間でも入れる気がしてくるのだから不思議である。
本で読んで知るのも限界があり、やはりその地に昔、その人がいた、という事実は、ロマンに浸る絶好のおかずであると思っている。
そう考えると、昨日見た映画のワンシーンでの、石田三成が眺める忍城の情景は、やはり今日登ったそれと位置や高さ的にも同じで面白かった。
忠実に作ってるんやなぁ。
例えばこの陣にいる大将に呼ばれて、潜入の命を受け、ここから城までのルートと潜入ルートを考えたりすると、もうワクワクが止まりまへんw
合戦と言えば武将だが、一度忍者目線の合戦、という話が見てみたいでござるな。
今度また妄想してみようw
そんなこんなで歴史人ツアーは終了。
専門家の解説ありでの鑑賞はおもしろかった!
でも、ツアーだとどうしても団体行動なので、ゆっくり見れないのもこれ事実。
そうすると妄想の時間がなくなってしまふw
一度ツアーで行って、別の機会に一人で行くってのがよいかもしれないでござるね。
そしてなんと、、、3月には、歴史人プレゼンツで「三国志の集い」があるらしい!
忍者とはあまり関係ないかもしれないが、、三国志も好きなので行きたい。。。
今後もKKベストセラーズさんには目が離せないっす!
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Comment
大谷 明(霧風)
2012.11.11 at 17:33 | Edit
嵩丸さん、お久しぶりです。
初めてお会いしたのは、鎧の修理を嵩丸さんとしころさんがしておられた時ですね。
今週は膝が痛くてお休みしましたが、あれから毎週武術教室に通っています。
仕事でメーカーとして、動物病院の獣医師と毎日お会いしている時、忍者の話題は使えます。ディラーの営業マン数十人相手の勉強会の時の前ふりにも緊張をほぐすのに使えますね。
行田ですが、自分が2歳くらいから16,7歳まで育った町で、結構な田舎ですけど、お城が復元してくれてうれしいです。若い女の子もよく見に来てますね。
あと、フライが有名で今でも川越から定期的に食べに行きます。もしまだでしたら、次回食べてみてください。
ブログ定期読者より
霧風さん、コメントありがとうございます!
あれからいつも行かれてるんですね。
行田にお住まいだったとは!
また今度お話しましょう〜
From Master | 2012.11.12 at 22:33