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研究途中報告 〜武蔵一族忍者とその他忍者の違い〜

前回なんか暗いエントリを書いてしまいまして、失礼いたし申したw

会社の仕事もそうだけど、それよりも忍者関連研究に風呂敷を広げすぎてしまい、あわあわしているでござるw
ブログの更新が滞ってしまっていて申し訳ござらん!
仲間のしころちゃんや千さんがブイブイ忍者活動をしているブログ記事を見て羨ましさ3000点でござります。。

現在、なぜか普通の忍者調査からちょっと外れた調査ばかり行っているでござる。

1つは、江戸時代において暗躍した忍者の実情。
もう1つはくのいちが扮した巫女達の実情。

どれもそんなに忍者としての研究としては、深く触れられていないテーマだと思ふ。

1つ目については、先日、武蔵一族の代表・朱雀さまから承った特別任務で、徳川幕府の隠密についてさらに詳細な調査を行うことと相成り申した。

一族ご祖先で、外国奉行であった柴田貞太郎剛中様。
この方の生涯とあたった任務を調べている真っ最中でござる。
最終的には幕末に臨時でできた役職・外国奉行として大活躍され、文久2年の遣欧使節団で福沢諭吉ともヨーロッパに渡ったほどのお方。
そこに至るまでは評定所(今でいう最高裁判所)の職員をされていたり、外国奉行と兼務して大阪や神戸の町奉行も担当していたご様子。
これらは江戸の町奉行と区別するために「遠国奉行」と呼ばれたのでござるが、その職務としては、その町の行政、交易、治安維持、寺社管轄など、すごく多岐に渡っていた。

それに江戸の町奉行というのは相当に多忙だったらしく、過労死率20%ほどだったらしい。
江戸の町奉行だけでそんなだったのに、大阪と神戸の町奉行、外国奉行を兼務していた柴田剛中は、相当に切れ者だったのでござろう。
一体どうやって仕事をこなしていったのか、と研究熱が高まるでござるよ!!

ということで、徳川幕府における司法制度や警察制度を紐解いているところにござります。
おそらく犯罪者を捕まえたり、情報収集をするにあたって、忍術を使っていたはずだと仮定して...

すると、、、
あかん、おもろいw

忍者とは外れるが、もともと拙者は法学部卒で今も法律関係の仕事をしているため、裁判ものや刑事ものが大好物なのでござる。
江戸時代における司法システム、行政システムに至るまで、今と違いすぎてぶったまげることも多い。
例えば、犯罪者を町奉行の同心・与力の下に岡っ引きや目明しとして雇って、検挙率に応じて罪を軽くしてやるシステムなど、いかにも冤罪が多発しそうなシステムもあったらしい。
実際に保身目的に罪をでっち上げる者が多く、冤罪は多発していたようでござる。

きっとあらゆるところで言っていたのでござろうな。
ー それでも拙者はやってない
と。


さて、本題に戻すとして・・・・

何よりもおもしろいと感じたは、現代の武蔵一族が所有している武器と資料のつながりが見えたところ、そしてそこから伊賀や甲賀、戸隠にはない「独自忍術(?)の存在」について諸々考えが浮かび上がって来たことでござる。

我が一族の田端の道場には、これでもかっ!!っていうくらい、たくさんの武器が展示してある。
最初に道場に伺ったときはおったまげたものだ・・・

でも、最初に訪れてからずっとおかしいな、と思っていたことがあって、それまで伊賀とか甲賀とか戸隠の忍術資料館にいっても、絶対に展示されていないような武器が結構存在するのだ。

それが「捕物」関連の武器なのでござる。

時代劇などで「御用だ!」と叫びながら走り回る岡っ引きが持っていて、一番有名なのは「十手」だろう。
そして一族の忍びの証としてみんな持っている「万力鎖」も、実は捕具なのである。
※ちなみにこの前道場に置いて来てしまった!どっかにあるかなぁ。。

他にも「さす股」「鉄棒」「袖がらみ」「角手」「鉄拳」など、一般の忍者資料集などには載っていない武器が山ほど展示されているのでござる。

最初に道場に訪れたときに
「し、、、知らない忍具がこんなにある・・・」
と、当時ショックを受けてあらゆる忍者の資料を探したけど、載っていなかった。

で、上述した研究を進めるために「江戸の司法警察辞典(柏書房)」を読んでみたら・・・

載ってる載ってる!!
道場にある武器ほぼ全部載ってるやん!

という興奮が押さえられんでござった。


「いやいや、忍者とあんまカンケーないじゃん(汗」
と最近まで拙者はそう思っていた。

しかし違うのだ。
既存の忍者像の枠が広がったと考えるべきなのだ。

徳川幕府お抱えの忍者として活躍した武蔵流忍術と、その他地域の忍術との決定的な違い。

それはそう、正義の忍術としての一面なのでござる。

町にはびこる悪党どもを捕えるため、世の中の平和を維持するため、そのために使われた忍術なのだ。

その他の忍者は戦国時代が活躍のピークだった。
江戸時代初期には甲賀百人組(その職務は情報収集でなくて鉄砲隊)として士官した甲賀忍者も、江戸時代中期以降は何度も士官させてくれ、と頼んでいたくらいだ。

しかし、武蔵忍者は平和な時代である江戸時代においてこそ、その実力を発揮して来た。
江戸〜幕末にかけて、唯一活躍した忍者なのではなかろうか。

忍者と言えば戦国時代だし、拙者も戦国時代におけるあらゆる謀略、暗殺などでの活躍に憧れて忍者に興味を持った。

江戸における平和な時代で悪を懲らしめる忍者像、そして外国諸国と渡り合う忍者像というのは、拙者も想像していなかったし、ほかの誰も想像していなかっただろう。
これって既存の凝り固まった忍者像に、さらなる拡張を持たせることができるのではないだろうか。

それがアピールできるのは、きっと伊賀でも甲賀でもなく、武蔵のみ。
非常におもしろいところに属させていただいたな、と心底思ったので、ブログ書いてみました。

この辺ももっと資料収集して、江戸忍者の活躍を証明していきたいでござる!

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1 comments

Comment

しころ

2013.02.05 at 09:24   | Edit

す、すごい!!これはかなり熱い見解!!!
私も今まで道場の捕り物系の武具は「へ~」という感じで捉えてたけど・・・
そういうモノが多く伝わっているということからも見て、確かに他の土地と違う動きだった可能性高いね!
一族にこんな独自性が見出せるなんて嬉しいーー!

ゆくゆくは「刑事(デカ)忍者ムサシ」で小説化希望(☆▽☆)

そうそう!俺もなんか捕物系の武器がよくわからんくて、、でもこう考えると「アツい!」って思って来たんだよね〜!どんな風にアピールできるか考えて行こう!!
刑事忍者ムサシって・・・ なんかださいねww

From Master | 2013.02.05 at 20:59