忍者ブログ

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

comments

江戸の忍者集大成! 〜江戸の隠密・御庭番〜

前回のエントリーで申し上げたとおり、現在は江戸の忍者にフォーカス!
ということで、読み申したでござるよ。
江戸忍者(公儀隠密など)が網羅された本をなぁ!

【清水昇「江戸の隠密・御庭番」河出書房新社】


江戸時代に活躍した隠密総勢50人の解説を施した本でござる。

正直、若干「え、この人が隠密?」と、なんとも50人にするために無理矢理隠密に仕立て上げた感も否めない・・・w
だって赤穂浪士の吉良側の動きを調査した人達まで含めてたり、新撰組の斎藤一が隠密だなんて・・・

まぁこの顔は間違いなく隠密ですがね(笑)

【斎藤一さん】



徳川により天下が統一され戦国時代が終わり、平和な時代が訪れた結果、特殊軍団である忍者達は働き場所がドンドンなくなっていってしまった。
服部半蔵に召し抱えられた者たちも基本的には城門警備。
大奥の警護にあたった忍者なんて、雪合戦の壁にされる始末である。
いつしか忍びが不要になる時代が到来してしまったのだ。

しかし徳川幕府としては、再び戦乱の世に戻さないためにも、全国の動きは察知しておかなければならない。
外様の大名達にクーデターなんて起こされたらたまったもんじゃない。
民が安心して暮らせない。

そこで必要になったのが、諸藩の動きを観察する役目でござる。
諸藩に目を付ける意味で「目付」「徒目付」など役職が置かれた。
時には将軍から直々に任務を賜る「公儀隠密」なんかも出て来た。
中でも吉宗の時に尾張徳川から一緒に江戸にやって来た隠密衆が「御庭番」である。

拙者が一番この中で面白かったのは、
・第1章 徳川家に使えた忍者の子孫と隠密
・第3章 御庭番の登場
だろうか。

他の章は、、なんか面白くなかった。。
いや、資料とかをベースに非常に細かく解説されているのでとっても勉強にはなったのだが。。

やっぱりこの忍者業界、、、どうしてもイメージが大事なんだなぁ、って感じ申した。

第1章はこれまでの忍者がどういう末路を辿ったのか、という視点での話だったし、第3章は世にも名高い御庭番の真実が知れて勉強になった、というところだが、他はどうもダイナミック感が感じられない。
拙者がまだそんなに、よくある江戸時代における密偵の小説とか読んだことないからかもしれんが、、、

忍者とか隠密って、歴史的資料を残すわけないんだから、いかに謎なミステリアスな部分を想像させて、ロマンを潰さないで伝えられるか、というのが非常に肝要だと思った。
かといってあまりに現実味を帯びない、突拍子もないことを付け足してしまうと冷める。

我が武蔵一族が面と向かってつきあっていかなければならない「江戸の忍者」は、少し取り扱いを間違えれば火傷を負いそうな代物かもしれない。
あまりにも戦国忍者のイメージが強すぎるからだ。
どうしても戦国忍者の方が面白くわかりやすい。

もうちょっと江戸の忍者、調べてみよう。

いっそのこと
「江戸の隠密はみんな自分のふんどしを覆面にしてました。なかなかどうして目と鼻に来るそうです」
とかいう風説の流布を流したら面白いかな!

面白さの方向が違わ〜い
違わーい

わーい・・・

拍手[0回]

PR

0 comments

バクフディクショナリー! 〜徳川幕府辞典〜

拙者は大学生になってから歴史に興味を持ち、いろんな戦国武将の小説を読み漁った。
天下三人を含む有名な武将は、基本的に山岡荘八で過ごした記憶がある。

「戦国時代っておもしれーーーー!!」

と思ってから、拙者の中ではホント最近まで「歴史といえば戦国時代」という代名詞で成り立っていた。

そのため、拙者の中での歴史の知識は、ほとんどが大坂の陣で徳川家康が豊臣家を根絶やしにするときまでであった。
その後の方はあんまり面白くないと思っていた。

忍者だってそうだ。
一番活躍したのは戦国時代であり、江戸時代においては「隠密」と言ったって、諸藩の怪しい行動をチェックするだけの仕事がほとんどだ。

「どこどこの藩が不正に交易をして儲けてるらしい」

みたいなことをチクチク調べて報告するのって、なんかおもろないな、って思っていた。

今まで司馬遼太郎の小説読むにしても、「竜馬が行く」以外は幕末ものは読んだことがない。
大河ドラマも篤姫がやってたときは見てなかったし。

しかし、、、

このエントリを書いてからというもの、すっごく江戸時代→幕末に興味が出て来ている。

やはり凝り固まった忍者像を打破できるチャンスが見いだせたからだろう。

前置きが長くなったけど(笑)、ということで最近は重点的に江戸時代の研究をしてみておりまする。

そして手始めに買ってみたのがコレ!

【竹内誠「徳川幕府事典」東京堂出版】


なんで入門でこんな分厚いの買っちゃうかな〜。。

いっつもそう。。
仕事でよまなきゃいけなくなった法律関係の書籍も、ついつい分厚いのを買ってしまう・・・
でも大体10分の1くらい読んでそのまま埃まみれになるのがオチなのでござるw

今回も600ページ弱で分厚い本でござったが、先週、やっと一読できました!
結局全部読むのに2ヶ月位かかったわ・・・w
でもかなり解説が詳細でわかりやすかったし、今後辞書にも使えるので重宝しそうです!

一家に一冊はあるといいでござるよ!!w


役職に就いた者の一覧として、大老や若年寄、町奉行や勘定奉行の一覧はあったのだが、外国奉行一覧はなく、あいにく武蔵一族の祖先の名前は載っておりませなんだ。。。

これは悔しいぞ。。。

という流れで、先週、図書館に行ってあるものを調べておりますた。

それは「徳川実紀」と「徳川武鑑」。

徳川実紀は、徳川幕府が残した正式な記録書であり、1日1日の将軍の様子や江戸の情勢などが描かれているもの。
そして徳川武鑑は、江戸時代に町民が出版したいわゆる「大名・幕臣ガイドブック」みたいなもので、町民はこれを片手に大名行列などを見て楽しんだ、とも言われている。

この2つを調査したところ、、
あった!!
柴田剛中の記録が!!

徳川実紀の方では、幕末のある時期に将軍に直々に呼ばれ、しかも人払いをして、何かを話していた様子。
み、、、密命・・・?
拙者の胸が高鳴ったw

また、徳川武鑑でもしっかりと「外国奉行」の欄に載っている。
白石忠大夫という男が常に同じ階層で載っていて、同時に出世したりして、
「ライバルなのか?」
とか考えだすと、もうその人のことも気になって来て真実を追究したくてしたくてたまらなくなってくる。

歴史の追求ってこんな楽しかったのか。

今までは受け身で
「へ〜そうなんだ〜」
っていう楽しみ方だったけど、こっちから探し当てにいくのがこんなにおもろいとは思わなかった。
病み付きになりそう・・・w

今週末も時間ができたら、バクフディクショナリーを片手に、図書館に行って参るぞ!!

なんか暗いヤツになりそうだな・・・ボソボソ

拍手[0回]

1 comments

国際派忍者を目指して 〜武蔵一族・忍びの集い〜

先週は約3ヶ月ぶりともなる武蔵一族の忍びの集いでござった。
もう千ちゃんが詳細書いたので拙者はいいだろう・・・
概要はそちらでチェックお願いします・・・w


第5回 忍者の集い そのいち  そのに

今回の忍者選手権では、武蔵一族のアピールや忍者に関する事項についての英語での説明など、「伝える」ことに特化した内容でござった。
きっと猪兄さんが今の拙者達に足りないことを補う場として提供してくれたものであろう。

アピールについては、もともとこういう目立ちたがりな性格なので、何の苦労もなかったものの、、、
英語での説明は全然あかんかった・・・・
仕事柄、じっくり読んで書くのはなんとかできるけど、話すのは全然できへんからな。。。

拙者の説明すべき事項は「狼煙」だったのだが、、どうも瞬時には英文が出てこなくて、
「ウルフスモーク!!」
と連呼するしかなかったw
わかる人にはわかったかもしれないが、首を傾げている人もいっぱいいたでござるw

正直、武蔵一族には通訳さんがいっぱいいて、自分では英語での説明なんてできなくてもまぁ、、、
と思っていたけど、やっぱり悔しかったでござる。。
同じ連絡忍びのさくらさんとか、すっごい流暢な英語でわかりやすく説明してくれて、凄くかっこ良かった。

通訳さんがいっぱいいるってことはそれだけ教えてもらえる環境があるってこと。
自分でも最低限のことは説明できるように、みなさんに聞きながらもう少し鍛錬しよう!

海外への忍者展開に向けても必要だし、仕事にも生きてくることだし。

とにかくいろんなことができる人がこの一族にはいる。
自分は武術もできないし、外国語もできないし、道具も作れないし、フットワークも軽くないし、一体何ができんのかな〜なんて、今でも迷うところはある。
が、できることは着実にやりつつ、できることを増やしていくこともおろそかにしないようにしようと思ふ、今日この頃でござった。

拍手[2回]

1 comments

忍術学院&柳生の里潜入! 〜奈良・柳生の里〜

臨時ミステリーツアーを終え、池田先生、伊蔵さんとお別れした武蔵一族メンバーは、一路奈良へ向かい申した。

奈良へ行く目的はそう、、、くまぶしくん!
奈良の金峰山のマスコットキャラクターとしてその日新発売になったキャラクターです。

【山伏に扮するしろくまくん!】


http://sankei.jp.msn.com/region/news/130308/nar13030802050003-n1.htm

やっとの思いで奈良についたものの・・・
なんと売り切れでござった。。。
30体用意していたらしいが、すぐ完売しちゃったらしい。。
意外と人気なのでござるね。

その後、なんと前日に講師を務めていたフョードル氏が奈良まで来てくれた!!
少し奈良公園を散策いたしました。

【名勝!奈良公園】


【風流のある町並み】


【神変大菩薩瓢箪】


【桜が綺麗でした】


【シカ!!】


【たこ焼きを食べる忍び達】


時間の都合上、東大寺には入れなかったけど、古都の雰囲気を満喫できたでござる!!


だが、今回の一番の目的はここではない。

我々は、奈良に「忍術学院」なるものがある情報をつかんでいたのだった。
完全予約制なので、外から雰囲気を掴むだけでも、あわよくばお話だけでもお伺いしようかということで、あの徳川剣術指南役である柳生家の里へ一路向かった一同であった。

奈良から車で数十分。。

【!!!】


それらしきものがありましたぞ!

早速脇に車を止めて、外から偵察することに。

【ニンジュツガクエンダッテサ!】


【壁におもむろに書かれた忍者君】


【奥の方に的らしきものが・・・?】


残念ながらもう閉まっていて、人っ子一人おらず、何ら話は聞けずじまいでした。。
機会があれば行ってみたいでござるな!

さて、日も暮れ始めていたが、せっかく柳生の里に来たのだから、、と、頭目に教えていただいた「一刀石」という史跡に行くことにすますた!

ほそ〜い坂道を千姫のフィットで駆け上がっていくと・・・

【神社への入り口が】


天石立という名前だから、天照大神が洞窟に引きこもってたけど、他の神様の協力があってそこから出て来たときに、あまりに目映くて吹っ飛んだという岩の扉「天岩戸」となんか関係ありそうな予感。
先へと進みまする。

【でっけー!岩がでけー!!】


やっぱりこの岩、岩戸隠れの伝説で飛んで来た岩とされている岩らしい。
なんか前に戸隠でも見たけど、、日本中に岩戸がありまするなぁ。。

【あ、大神が出て来たw】


さらにすすむこと数分。
ようやっと神社が見えて参りました。

【天石立神社】


そしてその先にあるのが・・・・

【一刀石にござい!】


剣聖と呼ばれた上泉信綱との決闘に破れた柳生宗厳(石舟斎)が、この地で修行をしていたのだが、天狗だと思って一刀両断したところ、この岩だったという伝説の残る岩でござる。
多分伝説は伝説なんだろうけど、非常にロマン溢れる場所でござった。

【すぐ登ろうとする千姫w】


【誰かやると思ったけど、やっぱりやったーw】


一刀石の少し上に、天狗の像が置いてありました。


少し可愛いw
柳生の人達が置いたのだろうか。
なんか神秘的でござった。

帰り道に、もののけ姫の舞台のような岩場があったのだが、なんと神(フョーさん)が岩場へと駆け始めてしまった!!
しころちゃんは「やめなよ〜危ないよ〜」と心配しております。
ですがイタズラ心の旺盛な神は止まることはできません。

【しころちゃんの心配をヨソに駆け出す神】


【結局あんな高いところまでw (左上の方)】


【神の目線】

拙者が完全に変な生き物みたいになっている・・・

こうして無事に任務を終えた一行は、夕飯に牛丼を食しつつ、岐路へとつきました!

非常に楽しかったなり〜

また来月の遠征も楽しみですな!!

拍手[2回]

0 comments

伊賀流ミステリーツアー! 〜研究家との一夜〜

4月!卯月!
歓送迎会や打ち上げなどの飲み会が連チャンであることに加え、仕事の担当も変わり忙しくなったのでいつも終電だが、今日は1時間ほど早く帰ったので久々に更新でござる!

伊賀上野潜入任務のつづきだけど、、、もう先々週のことやないか・・・
あとで一気にいかんと。。

任務を終えた伊蔵さん、しころちゃん、千ちゃん、拙者の一行は、伊賀の天然素材が楽しめる「モクモクファーム」でご飯。
そこで忍術研究家の池田先生と合流して、美味しい肉やソーセージなどをいただき申した。

しかしまぁ、なんという美味!!
その牧場で作っている野菜や肉が出て来て、新鮮さがひとしおでござった!
やっぱり野菜も、肉も、そして女の子も「天然」っていいよね!w

車を運転しないしころちゃんと拙者は、申し訳ないと最初は思いながらも、ごくごくとビールを喰らっていたのでござる。

そこでお酒好きの池田先生がひとこと。

「飲みたいから私も伊蔵さん家に行く」

拙者はこの日も伊蔵さんちに泊めていただく予定だったのだが、なんと結局全員いらっしゃることにw
こうして一旦解散して、伊蔵さん家に集合となったのでござる。


始まる二次会。

そのとき池田先生が四次元ポケットから何かを取り出したのであった。。。
それは・・・

プロジェクター!!(&ノートPC)

なんとここで先生の忍者に関するプレゼンを行ってくれるということでござる!!

こんな近くで貴重な研究の成果を惜しげもなく見せてくれるなんて・・・
貴重な体験すぎる・・・

拙者は生唾をゴクリと飲み込み、、、
ついでにビールもガバガバと飲み込みながら(笑)、ありがた〜くプレゼンを拝聴いたしたのでござる。

詳しい内容は言えないが、何十年も忍者を研究しているお方の知識は凄かった。
自分が忍者検定の解説とかやってたのが恥ずかしくなるくらい・・・

おびただしい数の写真、資料、古文書など、データベースが半端ない。
拙者が全然知らないあんなことやこんなこと・・・
めちゃめちゃ勉強になったでござる!
非常にかけがえのない時を過ごさせていただきました!

【旅館みたいな家で勉強会!】



一通りの質問受付コーナーも終わった後、くノ一達は帰宅。
女性がいなくなった先生はなんかテンションが下がっていたでござるw

しかし男だけの忍者にかける熱い思いなどを語り合い、夜遅くまで話し合ったのはいい思い出。
こんな風に忍者について語れる人達がいるのっていとをかしだわ。


そうして朝になると、急遽先生が伊賀のミステリーツアーを敢行してくださることになった!
前々からずっと行きたかったのだが、特別編でお送りしていただけるとは・・・

千ちゃんのミッションMarchに5忍で乗り込み、ツアーがスタート。
運転は池田先生でござります。

【う、、、運転が荒い・・・w】


拙者はどちらかというと、忍者が活躍した地に行ってその場に忍者がいたことを噛み締めるような、史跡巡りが一番好きなのだが、まだ伊賀の史跡巡りはほとんどやったことがないのだ。
そんな拙者だから、車から見える景色や町名を表す標識などはとっても大好物。
いろんな伝説との関連性を想起できて、非常にロマンがあるのです。

【萬川集海でも忍びの上手として出てくる新堂ノ小太郎がいた「新堂」】



【同じく柘植の木猿・小猿など、伊賀忍者に多い柘植姓の街】


そしてこの柘植町に、なんと。。。

あの神君伊賀越えで家康が休憩したという寺があるのだ!!

【その名も「徳永寺」】




とりあえずお参りして、寺の裏にある小高い山を登ることに。
そこに何かがあるらしい。。

途中、寺だけにやはりお墓がいっぱいあったのだが。。。

【伊賀忍者ゆかりの家紋がいっぱい!!】




伊賀忍者の家系は、「矢紋」と呼ばれる矢の羽の部分を家紋に取り入れていることが多いようだ。
これは特に伊賀の忍びの中でも、功績のあった有名な家系が使っているご様子。
伊賀に昔から住んでいる人で、家紋に矢紋がある人は、基本的に忍びの末裔と考えていいらしい。

阿修羅の有香さんも矢紋だったしな〜。
もちろん、かの服部半蔵の服部家も矢筈の家紋でござります。

みんながどんどん進む中、お墓をじっくり観察していると・・・

【拙者の家の家紋がっ!!】


拙者の家は「丸に違い鷹」という鷹の羽を用いた家紋。
伊賀の地にもこの家紋があるってことは・・・・

もしかして拙者にも忍びの血が・・・!?

と、なんかちょっとした希望を抱き、少し不適な笑みも浮かべたりしながら、置いてかれた拙者は少し小走りに皆を追いかけたのだった。


小高い丘を登るとそこにはなんだか立派な木がある。

なんとこれ・・・・

【忍びが見張りに使った椎の木らしい!!】



家康公が休憩しているときに、家臣の忍びどもがこの木の上に登って、敵の動きを見張っていたのでござる。
確かに山は高かったので、木の上に登れば非常に眺めはいいだろう。
こういう伝承が残っているのが素晴らしい。
そこに忍者くんがいたことを想像すると、とても感慨深かったでござるわ。

【きっとここにいたんでしょう!】



次に柘植にある資料館へと向かうツアーご一行様。

その途中で蝉の抜け殻を見つけました!
まさかのこの時期に・・・w


資料館ではいろいろあるものの、忍者関連としては伊賀越えルートについて書かれたものと、掲示物が少しでござった。
そこまで忍者ゴリ押しでもない感じでござったな。

【伊賀越えルート】



資料館を後にした拙者達は、なんだかよくわからない山へと連れていかれたでござる・・・

【え!?なにここ?】


どんどんと山の奥へ入っていきまする。。


金網を通って歩くこと10分ほど。
ちょいと疲れるわ・・・
と思いかけたとき、てっぺんに出て参ったようでござる。
そこには・・・

【無数の石碑が!!!】


ここは「五右衛門塚」といって、石川五右衛門を供養するために作られたスペースと言われている。
特にお墓や供養塔ではないのだが、地元の人々が五右衛門の供養を願って建てたものではあるようだ。

【これが五右衛門塚(かも)】


ぐ〜っと石に顔を近づけて見たが、五右衛門の名前はない様子。
まぁ、それはそうじゃろうね。
でもなんかそれっぽい雰囲気もあるし、なかなか神秘的ないいロケーションでござった。


こうしてミステリーツアーは終了!
いやぁ、こんな忍者関連ツアーなんて生まれて初めてだったもんだから、
もう楽しくて楽しくて仕方がなかったでござる!!

もっとこういうの参加していきたいっすな。
っていうか、コレが東京でもできるよう、江戸忍者の方の調査も進めていくぜぃ!!

拍手[2回]

2 comments