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伊賀流ミステリーツアー! 〜研究家との一夜〜

4月!卯月!
歓送迎会や打ち上げなどの飲み会が連チャンであることに加え、仕事の担当も変わり忙しくなったのでいつも終電だが、今日は1時間ほど早く帰ったので久々に更新でござる!

伊賀上野潜入任務のつづきだけど、、、もう先々週のことやないか・・・
あとで一気にいかんと。。

任務を終えた伊蔵さん、しころちゃん、千ちゃん、拙者の一行は、伊賀の天然素材が楽しめる「モクモクファーム」でご飯。
そこで忍術研究家の池田先生と合流して、美味しい肉やソーセージなどをいただき申した。

しかしまぁ、なんという美味!!
その牧場で作っている野菜や肉が出て来て、新鮮さがひとしおでござった!
やっぱり野菜も、肉も、そして女の子も「天然」っていいよね!w

車を運転しないしころちゃんと拙者は、申し訳ないと最初は思いながらも、ごくごくとビールを喰らっていたのでござる。

そこでお酒好きの池田先生がひとこと。

「飲みたいから私も伊蔵さん家に行く」

拙者はこの日も伊蔵さんちに泊めていただく予定だったのだが、なんと結局全員いらっしゃることにw
こうして一旦解散して、伊蔵さん家に集合となったのでござる。


始まる二次会。

そのとき池田先生が四次元ポケットから何かを取り出したのであった。。。
それは・・・

プロジェクター!!(&ノートPC)

なんとここで先生の忍者に関するプレゼンを行ってくれるということでござる!!

こんな近くで貴重な研究の成果を惜しげもなく見せてくれるなんて・・・
貴重な体験すぎる・・・

拙者は生唾をゴクリと飲み込み、、、
ついでにビールもガバガバと飲み込みながら(笑)、ありがた〜くプレゼンを拝聴いたしたのでござる。

詳しい内容は言えないが、何十年も忍者を研究しているお方の知識は凄かった。
自分が忍者検定の解説とかやってたのが恥ずかしくなるくらい・・・

おびただしい数の写真、資料、古文書など、データベースが半端ない。
拙者が全然知らないあんなことやこんなこと・・・
めちゃめちゃ勉強になったでござる!
非常にかけがえのない時を過ごさせていただきました!

【旅館みたいな家で勉強会!】



一通りの質問受付コーナーも終わった後、くノ一達は帰宅。
女性がいなくなった先生はなんかテンションが下がっていたでござるw

しかし男だけの忍者にかける熱い思いなどを語り合い、夜遅くまで話し合ったのはいい思い出。
こんな風に忍者について語れる人達がいるのっていとをかしだわ。


そうして朝になると、急遽先生が伊賀のミステリーツアーを敢行してくださることになった!
前々からずっと行きたかったのだが、特別編でお送りしていただけるとは・・・

千ちゃんのミッションMarchに5忍で乗り込み、ツアーがスタート。
運転は池田先生でござります。

【う、、、運転が荒い・・・w】


拙者はどちらかというと、忍者が活躍した地に行ってその場に忍者がいたことを噛み締めるような、史跡巡りが一番好きなのだが、まだ伊賀の史跡巡りはほとんどやったことがないのだ。
そんな拙者だから、車から見える景色や町名を表す標識などはとっても大好物。
いろんな伝説との関連性を想起できて、非常にロマンがあるのです。

【萬川集海でも忍びの上手として出てくる新堂ノ小太郎がいた「新堂」】



【同じく柘植の木猿・小猿など、伊賀忍者に多い柘植姓の街】


そしてこの柘植町に、なんと。。。

あの神君伊賀越えで家康が休憩したという寺があるのだ!!

【その名も「徳永寺」】




とりあえずお参りして、寺の裏にある小高い山を登ることに。
そこに何かがあるらしい。。

途中、寺だけにやはりお墓がいっぱいあったのだが。。。

【伊賀忍者ゆかりの家紋がいっぱい!!】




伊賀忍者の家系は、「矢紋」と呼ばれる矢の羽の部分を家紋に取り入れていることが多いようだ。
これは特に伊賀の忍びの中でも、功績のあった有名な家系が使っているご様子。
伊賀に昔から住んでいる人で、家紋に矢紋がある人は、基本的に忍びの末裔と考えていいらしい。

阿修羅の有香さんも矢紋だったしな〜。
もちろん、かの服部半蔵の服部家も矢筈の家紋でござります。

みんながどんどん進む中、お墓をじっくり観察していると・・・

【拙者の家の家紋がっ!!】


拙者の家は「丸に違い鷹」という鷹の羽を用いた家紋。
伊賀の地にもこの家紋があるってことは・・・・

もしかして拙者にも忍びの血が・・・!?

と、なんかちょっとした希望を抱き、少し不適な笑みも浮かべたりしながら、置いてかれた拙者は少し小走りに皆を追いかけたのだった。


小高い丘を登るとそこにはなんだか立派な木がある。

なんとこれ・・・・

【忍びが見張りに使った椎の木らしい!!】



家康公が休憩しているときに、家臣の忍びどもがこの木の上に登って、敵の動きを見張っていたのでござる。
確かに山は高かったので、木の上に登れば非常に眺めはいいだろう。
こういう伝承が残っているのが素晴らしい。
そこに忍者くんがいたことを想像すると、とても感慨深かったでござるわ。

【きっとここにいたんでしょう!】



次に柘植にある資料館へと向かうツアーご一行様。

その途中で蝉の抜け殻を見つけました!
まさかのこの時期に・・・w


資料館ではいろいろあるものの、忍者関連としては伊賀越えルートについて書かれたものと、掲示物が少しでござった。
そこまで忍者ゴリ押しでもない感じでござったな。

【伊賀越えルート】



資料館を後にした拙者達は、なんだかよくわからない山へと連れていかれたでござる・・・

【え!?なにここ?】


どんどんと山の奥へ入っていきまする。。


金網を通って歩くこと10分ほど。
ちょいと疲れるわ・・・
と思いかけたとき、てっぺんに出て参ったようでござる。
そこには・・・

【無数の石碑が!!!】


ここは「五右衛門塚」といって、石川五右衛門を供養するために作られたスペースと言われている。
特にお墓や供養塔ではないのだが、地元の人々が五右衛門の供養を願って建てたものではあるようだ。

【これが五右衛門塚(かも)】


ぐ〜っと石に顔を近づけて見たが、五右衛門の名前はない様子。
まぁ、それはそうじゃろうね。
でもなんかそれっぽい雰囲気もあるし、なかなか神秘的ないいロケーションでござった。


こうしてミステリーツアーは終了!
いやぁ、こんな忍者関連ツアーなんて生まれて初めてだったもんだから、
もう楽しくて楽しくて仕方がなかったでござる!!

もっとこういうの参加していきたいっすな。
っていうか、コレが東京でもできるよう、江戸忍者の方の調査も進めていくぜぃ!!

拍手[2回]

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2 comments

Comment

2013.04.05 at 08:32   | Edit

更新おつかれ!
楽しかったねー(^o^)v

Marchじゃないよ!
Fitだよーw

ごめんフィットだったーw
最近凡ミス多いわ〜w

From Master | 2013.04.07 at 18:39

上忍

2013.04.18 at 17:29   | Edit

ありがとう、私にとって、みんなが、どこが面白いかがわかることが大事なので、タカマルさん、センさん、シコロさんの感想はいいですワン。
面白かったです。みなさん、十一にんじゃと伊賀越えは、忍者研究では、必修科目です。

せ、先生〜!!コメントありがとうございます!!
僕はやっぱり歴史のロマンが感じられるスポットが大好きです!
11忍者、既に忘れて来ておりますが頑張って覚えます!!

From Master | 2013.04.18 at 22:48