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大河ドラマに手裏剣が!! 〜江戸時代の手裏剣術〜
Posted on Monday, Feb 25, 2013 23:09
皆の衆は今年の大河ドラマ「八重の桜」は見ているでござろうか?
拙者は幕末も大好きな時代のひとつ。
毎週欠かさず拝見しているでござる。
会津藩が京都守護職に任命され、京の町に出張する会津藩士たち。
八重のお兄ちゃん、覚馬をはじめ、会津藩士の多くは京へと旅立っていく。
それでも次々と攘夷派が殺戮を犯す物騒な京の町の治安を維持するには人手も足りず・・・
そんな中、後の新撰組となる壬生の浪士たちが集まったあたり。
いよいよ盛り上がってきたでござるな!
その頃、会津藩士の佐川官兵衛は、刀傷沙汰を起こしてしまったことから、謹慎を命じられ、京都へ連れて行ってもらえなかった。
腕には自信もあるし、忠義心は人一倍の官兵衛。
みなが京都で活躍しているのに自分だけ会津にいるのは耐えられない。。
ついに家老の目を盗んで、単騎、京へと駆け上ったる!
【コラ!待て官兵衛!!】
![](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/031f950cbac2fdc2fa6628c890a40cfb/1361801006)
【捕まってたまるか!】
![](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/031f950cbac2fdc2fa6628c890a40cfb/1361801044)
【追跡する武士が懐に手を忍ばせた・・・】
![](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/031f950cbac2fdc2fa6628c890a40cfb/1361801083)
【こ、、、これは・・・!?】
![](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/031f950cbac2fdc2fa6628c890a40cfb/1361801124)
【棒手裏剣だ!!!!】
![](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/031f950cbac2fdc2fa6628c890a40cfb/1361801141)
【うおおおおおおお・・・】
![](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/031f950cbac2fdc2fa6628c890a40cfb/1361801171)
【後ろからのアングル】
![](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/031f950cbac2fdc2fa6628c890a40cfb/1361801193)
【喰らえ!!】
![](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/031f950cbac2fdc2fa6628c890a40cfb/1361801228)
【ずおりゃあ!!!】
![](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/031f950cbac2fdc2fa6628c890a40cfb/1361801265)
【直打法か!?】
![](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/031f950cbac2fdc2fa6628c890a40cfb/1361801317)
【いてぇぇぇ!!】
![](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/031f950cbac2fdc2fa6628c890a40cfb/1361801377)
というわけで武士階級である会津藩士が、なんと棒手裏剣を使ったのでござる!
手裏剣って忍者の武器じゃないの?
という声が聞こえてきそうであるが、そこはノンノン。
手裏剣術は立派な武術であって、江戸時代でもしっかりとした流派があった武士のための武術だったのだ。
だが、小さくて見えない手裏剣はどこから飛んでくるかわからず、また毒などを塗ると殺傷能力も高かったことから卑怯な武術とされ、江戸市内では手裏剣の公式な稽古は禁止されていたらしい。
逆に江戸から出れば手裏剣はむしろ奨励され、なんと15代将軍徳川慶喜公も手裏剣の達人だったらしいでござるよ。
そういった背景からすれば、会津藩士が手裏剣を使うのもうなづけるでござるね!!!
正直、映像作品で武士が手裏剣を投げるところは見たことがなかったでござる。
今年の大河ドラマ、なかなかやりまするな!
しかも馬に乗りながらの棒手裏剣。。
なかなかあの上下運動のさなかに直打法で動く目標を指すのは至難なはずだ・・・
ひょっとしたら弓で行う流鏑馬よりも難しいのではないだろうか。
馬に乗りながらの棒手裏剣で的を射る競技、流行らないだろうか・・・
うーん。。。なんとなく地味でござるなw
拙者は幕末も大好きな時代のひとつ。
毎週欠かさず拝見しているでござる。
会津藩が京都守護職に任命され、京の町に出張する会津藩士たち。
八重のお兄ちゃん、覚馬をはじめ、会津藩士の多くは京へと旅立っていく。
それでも次々と攘夷派が殺戮を犯す物騒な京の町の治安を維持するには人手も足りず・・・
そんな中、後の新撰組となる壬生の浪士たちが集まったあたり。
いよいよ盛り上がってきたでござるな!
その頃、会津藩士の佐川官兵衛は、刀傷沙汰を起こしてしまったことから、謹慎を命じられ、京都へ連れて行ってもらえなかった。
腕には自信もあるし、忠義心は人一倍の官兵衛。
みなが京都で活躍しているのに自分だけ会津にいるのは耐えられない。。
ついに家老の目を盗んで、単騎、京へと駆け上ったる!
【コラ!待て官兵衛!!】
【捕まってたまるか!】
【追跡する武士が懐に手を忍ばせた・・・】
【こ、、、これは・・・!?】
【棒手裏剣だ!!!!】
【うおおおおおおお・・・】
【後ろからのアングル】
【喰らえ!!】
【ずおりゃあ!!!】
【直打法か!?】
【いてぇぇぇ!!】
というわけで武士階級である会津藩士が、なんと棒手裏剣を使ったのでござる!
手裏剣って忍者の武器じゃないの?
という声が聞こえてきそうであるが、そこはノンノン。
手裏剣術は立派な武術であって、江戸時代でもしっかりとした流派があった武士のための武術だったのだ。
だが、小さくて見えない手裏剣はどこから飛んでくるかわからず、また毒などを塗ると殺傷能力も高かったことから卑怯な武術とされ、江戸市内では手裏剣の公式な稽古は禁止されていたらしい。
逆に江戸から出れば手裏剣はむしろ奨励され、なんと15代将軍徳川慶喜公も手裏剣の達人だったらしいでござるよ。
そういった背景からすれば、会津藩士が手裏剣を使うのもうなづけるでござるね!!!
正直、映像作品で武士が手裏剣を投げるところは見たことがなかったでござる。
今年の大河ドラマ、なかなかやりまするな!
しかも馬に乗りながらの棒手裏剣。。
なかなかあの上下運動のさなかに直打法で動く目標を指すのは至難なはずだ・・・
ひょっとしたら弓で行う流鏑馬よりも難しいのではないだろうか。
馬に乗りながらの棒手裏剣で的を射る競技、流行らないだろうか・・・
うーん。。。なんとなく地味でござるなw
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忍者×小説家×学者のトークショーに向けて! 〜忍びの国〜
Posted on Sunday, Feb 24, 2013 23:21
おそらく、現代の忍者に興味を持つ者ならば1度は手にしたことがあるはずの小説。きっといろんな人のブログでも腐る程紹介されているでござろう。
拙者の中ではおそらく一番のお気に入りの忍者小説!
【和田竜「忍びの国」新潮社】
![](http://ws.assoc-amazon.jp/widgets/q?_encoding=UTF8&ASIN=4103068817&Format=_SL160_&ID=AsinImage&MarketPlace=JP&ServiceVersion=20070822&WS=1&tag=shinobi4273-22)
![](http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=shinobi4273-22&l=as2&o=9&a=4103068817)
「のぼうの城」を読んでからというもの、和田先生の作品にどっぷりはまってしまった拙者。
記念すべきこの2作目がもう5年も前に発売され、飛びつくように購入したのを覚えている!
なぜまたこれを読み直そうと思ったかというと。。。
何と来週の土曜日、和田先生とあの川上先生が忍者を舞台にトークショーを行うのだ!!
サインペンを購入したりと、拙者の浮かれ具合が半端ないw
この「忍びの国」は、天正に起きた「第1次伊賀の乱」が舞台。
織田信長が次男、織田信雄が伊賀に攻め込み、これを返り討ちにしたという史実に基づく歴史小説なのでござる。
織田軍には織田信雄をはじめ、日置大善、長野左京亮、柘植三郎左衛門などの登場人物がおり、これらの人物はすべて「伊乱記」などの古典にもしっかりと名が残る由緒正しき武将たちである。
ストーリーの中では、これらの武将たちが古典の中でどう書かれていたのか原文を持ち出し、それを解説し、上塗りして装飾するような手法をとっている。
古典の記録ってだいたい味気ないのに、そのわずかな手がかりから実に魅力的な人物設定や出来事の表現を行う技術は、本当にすごいと感嘆せざるを得ないですな。。
特に日置大膳の「武士の中の武士」を思わせるあの実直さは、心うたれたものも多いのではなかろうかっ!
拙者も信雄と大膳のやりとりにはいつもうるっと来てしまう・・・
ちなみに我が一族の頭目は、日置大膳が好きらしいですw
そして忍者方は、おなじみ百地三太夫率いる伊賀の忍び勢。
百地といえば必ず出てくる石川文吾(後の五右衛門)もやはり登場する。
(今平行して村山知義の「忍びの者」を読んでいて若干かぶる・・・)
「忍びの国」では、忍者たちの描き方がとても秀逸で、人を騙すことをなんとも思わない習性や、金のためにしか動かない露骨さなど、上忍から下忍に至るまで、普通に考えると嫌なやつばっかりw
知名度を上げるためにわざと小競り合いを起こして、自分の息子を殺させるなど、通常では考えられないことを平然とやってのける。
でもこれも伝わる忍者像を忠実に再現しているだけであり、それらの根拠は「萬川集海」など、すべて資料の裏付けをとって解説されている。
この作品は、半分は伊賀の乱に至るまでの騙し合い、謀略の応酬がメインとなっていて、忍者という者が本当はどういう者で、どのような考えをもっていたのか、非常にイメージしやすい作品になっていると思われるぞよ。
主人公の「無門」という男は創作なのだと思うのだが、この男がいることで忍者の何たるか、人間としてどう生きていくのか、を教えられ、考えさせられるのでござる。
また、武士 vs 忍者の構図は、設定としてそうそうないので、自分が武士派なのか、忍者派なのかを見分けるいいきっかけとなるであろう。
大体の忍者関連のストーリーって、主人公や重要人物が忍者の生き方に疑問を持ち、悩み、裏切り、狙われる、というものが多い気がする。
小説でも漫画でもゲームでも。
忍者が謀略、破壊活動的なことばかりやってきたから、どうしてもそのようなテーマ設定になるのだろう。
とても苦渋が強いられる役回りだが、誰かがやらなければならない仕事だし。
掟と信条とのジレンマはきっと忍者にとって永遠のテーマだったのでござろうな。
この辺の設定の裏話とかは、今度の土曜日にお聞きできるのかな!
今から楽しみでやんす。
もしトークショーで先生とお話しすることができれば、どうやって資料収集や解読を行ったのかをお伺いしたいでござる!
拙者の中ではおそらく一番のお気に入りの忍者小説!
【和田竜「忍びの国」新潮社】
「のぼうの城」を読んでからというもの、和田先生の作品にどっぷりはまってしまった拙者。
記念すべきこの2作目がもう5年も前に発売され、飛びつくように購入したのを覚えている!
なぜまたこれを読み直そうと思ったかというと。。。
何と来週の土曜日、和田先生とあの川上先生が忍者を舞台にトークショーを行うのだ!!
サインペンを購入したりと、拙者の浮かれ具合が半端ないw
この「忍びの国」は、天正に起きた「第1次伊賀の乱」が舞台。
織田信長が次男、織田信雄が伊賀に攻め込み、これを返り討ちにしたという史実に基づく歴史小説なのでござる。
織田軍には織田信雄をはじめ、日置大善、長野左京亮、柘植三郎左衛門などの登場人物がおり、これらの人物はすべて「伊乱記」などの古典にもしっかりと名が残る由緒正しき武将たちである。
ストーリーの中では、これらの武将たちが古典の中でどう書かれていたのか原文を持ち出し、それを解説し、上塗りして装飾するような手法をとっている。
古典の記録ってだいたい味気ないのに、そのわずかな手がかりから実に魅力的な人物設定や出来事の表現を行う技術は、本当にすごいと感嘆せざるを得ないですな。。
特に日置大膳の「武士の中の武士」を思わせるあの実直さは、心うたれたものも多いのではなかろうかっ!
拙者も信雄と大膳のやりとりにはいつもうるっと来てしまう・・・
ちなみに我が一族の頭目は、日置大膳が好きらしいですw
そして忍者方は、おなじみ百地三太夫率いる伊賀の忍び勢。
百地といえば必ず出てくる石川文吾(後の五右衛門)もやはり登場する。
(今平行して村山知義の「忍びの者」を読んでいて若干かぶる・・・)
「忍びの国」では、忍者たちの描き方がとても秀逸で、人を騙すことをなんとも思わない習性や、金のためにしか動かない露骨さなど、上忍から下忍に至るまで、普通に考えると嫌なやつばっかりw
知名度を上げるためにわざと小競り合いを起こして、自分の息子を殺させるなど、通常では考えられないことを平然とやってのける。
でもこれも伝わる忍者像を忠実に再現しているだけであり、それらの根拠は「萬川集海」など、すべて資料の裏付けをとって解説されている。
この作品は、半分は伊賀の乱に至るまでの騙し合い、謀略の応酬がメインとなっていて、忍者という者が本当はどういう者で、どのような考えをもっていたのか、非常にイメージしやすい作品になっていると思われるぞよ。
主人公の「無門」という男は創作なのだと思うのだが、この男がいることで忍者の何たるか、人間としてどう生きていくのか、を教えられ、考えさせられるのでござる。
また、武士 vs 忍者の構図は、設定としてそうそうないので、自分が武士派なのか、忍者派なのかを見分けるいいきっかけとなるであろう。
大体の忍者関連のストーリーって、主人公や重要人物が忍者の生き方に疑問を持ち、悩み、裏切り、狙われる、というものが多い気がする。
小説でも漫画でもゲームでも。
忍者が謀略、破壊活動的なことばかりやってきたから、どうしてもそのようなテーマ設定になるのだろう。
とても苦渋が強いられる役回りだが、誰かがやらなければならない仕事だし。
掟と信条とのジレンマはきっと忍者にとって永遠のテーマだったのでござろうな。
この辺の設定の裏話とかは、今度の土曜日にお聞きできるのかな!
今から楽しみでやんす。
もしトークショーで先生とお話しすることができれば、どうやって資料収集や解読を行ったのかをお伺いしたいでござる!
寺社コン潜入記! 〜古事記から学ぶ恋愛術〜
Posted on Monday, Feb 04, 2013 00:10
昨日のエントリで、もうひとつ調査しているものとして挙げた「くのいち」。
そして以前から何度か書いているように、戦国期のくのいちを調査する上でかかせない「巫女」の知識。
巫女といえば神に仕える女性のことをいうけれど、今調べてる限りだと古代の原始神道に遡るほど、女性の方がもはや社会における立場が高かったようでござる!
中国の書物「魏志倭人伝」にも名が残る大和帝国の女王、卑弥呼については皆の衆もよくご存知であろう。
なぜ女性がトップに立っていたのか。
今の神職には基本的に男性が就いているが、特に古墳時代などまでは祈祷をはじめとした呪術を行えるのは女性のみであり、神に一番近しい存在である女性が絶大なる権力をもっていたのでござる。
卑弥呼もその流れで日本のトップに立ったのだ。
それが段々と立場が下がって行き、、、今のような男性神職の補佐的な立場に落ち着いたようでござる。
まだまだ今は古代神道あたりの調査までなので、戦国期などの巫女と忍者の関係は研究が進んだら解説するでござるよ!
その巫女の研究をするにあたって、どうしても避けられないのが「神道」とはなんぞや?というところ。
拙者は結構昔からこうゆうの好きだったのと、ご先祖様が実は天草にある神社を開いた僧侶(昔は神仏習合で神道と仏教両方扱ってたから、坊さんが神社を開くこともあった)だったらしく、若かりし頃の自分ルーツ探しのときにいろいろ調べて、ある程度の知識はあったと思っていたのだが、奥が深く複雑なため、やはりまだまだ知識が足りない。
神道のルーツは古事記を読み解くところから入るのだけれど、古事記の現代語訳は読んでももう、とにかく登場する神様が多すぎて多すぎて、あまり深くは追求してこなかった分野でござった。
でもやっぱ調べないと進まないなぁ、と思い調査を進めている先月のあるときだった。
「古事記」で検索していろいろと情報収集していると・・・こんな検索結果が出て来たのでござる。
寺社コン 川越八幡宮で古事記を学ぼうコン(婚活イベント)
・・・寺社コン!?
去年の暮れ頃に、会社の同僚から「寺社コンってのがあるらしいよ」と聞いたことはあった。
どうやら街コンが「街」をモチーフにしたコンパだとしたら、寺社コンのモチーフは「神社仏閣バージョン」らしい。
最近巷でジワジワと人気が出て来ているようでござる。
それを聞いたとき、婚活イベントなんて恥ずかしいし、まだ20代だからそこまで女性に困るような年でもないし。。
寺社はすごく好きなので魅力的だけどお金払ってまでいくことないな、と思っておった。
が、そのサイトを見てみると、、、、
川越八幡宮の神主さんが古事記について講義をしてくれるらしいとのこと!!!
ようわからん古事記のお話を、現役神主さんからお話が聞けるなんて!
すごく行きたくなり、でも恥ずかしいし、という気持ちもあり葛藤したが何事も修行じゃ!
と思って参加を申し込んだ。
すると数日後、主催者さまからメールがあり、どうやら参加できることになったらしい。
ということで昨日、人生初の婚活イベントに行って参りましたw
1年くらい彼女もいないですし、もしかしたらイイ出会いがあるかもしれないですからな!
集合場所は埼玉県の川越駅。
縁結びで有名な川越八幡宮で良縁祈願をしてもらい、その後川越散策、そして飲み会へと移るプランとのこと。
おそるおそる駅前の集合場所に馳せ参じた拙者!
周りを見渡せば、、、20vs20で総勢40名ほどの男女が!!
そしてなんとなく見る限り、30代〜40代くらいの方ばかり!
中には50くらいの方もいただろうか。
結局自分の他に20代だったのは一人くらいしかいなかった。
あかん・・・完全に浮いた・・・
結構散策で歩くんかと思ってラフな格好してきたら、結構みなさんシャツとか着てる!!
皆様落ち着いておとなしそうな方が多く、自分だけなんか幼いよぅ。。。
「募集要項では10vs10って書いてあったのに結構多いっすね〜」
とか近くのお兄様とお話ししながら、徒歩10分ほどで川越八幡宮に到着。
【川越八幡宮 ※なんとも微妙なショットしか取れずw】
![](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/031f950cbac2fdc2fa6628c890a40cfb/1359904084?w=112&h=150)
到着後、輪になって自己紹介。
声が小さい人が多くて名前が聞こえませぬ・・・
東京・埼玉から来ている人が多く、中には千葉や茨城からいらしている方もござりました。
その後、拝殿の中で良縁祈願のご祈祷!
実は拙者、拝殿の中に入ったご祈祷って初めてで、こんなに神聖なものなんだな、と思い知りやした!
神主さんの祝詞がすごく良い声で、祓いの鈴の音がすごく心地よくて、、、
いいもんですなぁ。
祈祷の後は待ちに待った神主さんによる古事記のご講話!
この川越八幡宮でのイベントは第2回らしいので、この後も使うだろうからネタバレはできませぬが、出雲大社に祀られる大国主命の神様と女性の神様の恋の物語をかたどった内容でござった。
一昨年にninjaに乗っていった出雲大社のお話なので、テンションも上がりまする!
非常にわかりやすい解説で、非常に貴重なお話をお伺いできたでござる。
拙者が一番心に残ったのは、以下のお言葉でござった。
こういう話をすると大体「神様も人間と同じように恋愛をされてたのですね」と感想を言われることが多いようなのだが、一歩進んで考えて欲しいとのこと。
神様が人間と同じように恋愛をしているのではないのです。
神様が恋愛したからこそ、人間は恋愛ができるのです。
確かにそうだよな、といろいろ考えさせられるお言葉でした。
うん、やっぱり日本の考え方っていいでござるな。
神社の集会所から出て、また徒歩で15分くらい歩き、川越大社喜多院へ。
この移動のときに女性の方とお話したのだが、その方は幕末が好きらしい。
新撰組に萌えるレキジョの方かな、、、と思ったらそうではなく、幕末の激動の時代そのものが好きだとのこと。
だいたい女性で歴史的なものが好きな方って、パワースポットで占いがどうのとか、イケメン武将や隊士ファンとかばかりなのかな、と思っていたのだが、こういうところには、ちゃんと日本の心をわかっていたり、歴史にロマンを感じる人がくるんだな、というのがわかった。
ちょうど拙者も幕末に最近興味津々なので、なかなか盛り上がったでござるよ!
そして喜多院の前に建てられた日枝神社に到着。
【日枝神社】
![](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/031f950cbac2fdc2fa6628c890a40cfb/1359903315?w=112&h=150)
喜多院は、天台宗の寺院であり、天台宗の総本山は比叡山延暦寺。
そう、信長が焼き討ちしたところでござる。
日本の神道ではあらゆるモノに神が宿るという考えで、比叡山にももちろん神様がいらっしゃった。
仏教である天台宗は、比叡山全体を寺として使ったため、比叡山の神様の力を借りて、一緒に成長して行った宗派であるとのこと。
そのため、天台宗系列の寺院があるところには、必ず日枝神社があるとのことでござる。
「比叡山 → ひえい ざん → ひえ → 日枝」でござるね。
そして、徳川家光が生まれたという喜多院へ!
【喜多院本門】
![](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/031f950cbac2fdc2fa6628c890a40cfb/1359903354?w=150&h=112)
【喜多院本堂】
![](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/031f950cbac2fdc2fa6628c890a40cfb/1359903404?w=150&h=112)
しかし、なんと今日の節分祭の準備で中に入れないらしい。。。
拝観したかったぜよー!!
そして参加者の中ではメインイベントであろう懇親会へ!
会場がまさかの結婚式場だったw
それ知ってたらもうちょっとフォーマルな格好で来てたわw
主催者の方のご挨拶で乾杯!
ちょっとウケたのは、今日ご祈祷してくださった神主さんも参加していたのだが、この方独身で、参加者としてばっちりと参加費を払っていたところでござるw
このときいろんな人とお話ができたのだが、本当にいろんな方がいた。
そして・・・嫌というほど話が合う!!w
年齢の差がある人が多かったけれど、やはり同じ趣味を持つ者が集まるとこんなに盛り上がるんだなぁ、とびっくりしてしまった。
ただ神社仏閣をベースにちょっとずつそれぞれ個性があって、占いとかが好きな人も入れば、仏像が好きな人、歴史が好きな人、神話が好きな人など、とても面白かった。
中には本当はあんまり神社とか興味ないです、というツワモノもいらっしゃったけど(参加条件に書いてあったのに・・・笑)
ただ忍者はいなかったけどね!!
これは心から思ったけど、神社仏閣とか歴史が好きな方でいい人を見つけたい人は、参加するととても良いと思う。
イベント自体が神聖だし、そもそも趣味の範囲だからおもしろいし、そこに集まる人も趣味は絶対合うから、気は絶対合うはずでござる。
参加してみて、仮になんか今日は違うな。。。と思っても、趣味に没頭すればいいだけだし。
かくいう拙者は、若さ故の特権か結構モテたでござる!(自称!)
とある女性から「嵩丸さんが一番カッコいいと思いました」とかも言われたでござる!(ホントだよ)
※どうか参加者の方、見てませんように。。。
こんな拙者でもそんな奇跡がござりますで、ぜひとも興味ある方は参加してみてくだされ!!
拙者の恋の行方は・・・いずれ乞うご期待!!
ちなみに飲み会のとき聞いたのだが、神主さん、脱サラして神職の道に入ったとのこと。
しかも年は違うが、誕生日が全く一緒でござったw
これも何かの縁だし、祖先が神職であることからいずれ勉強しなくてはな、と思っていたところだったので、貴重なお話をもっと聞きたくなり、ご連絡先をお伺いできたのは相当な収穫でござった。
今度御礼も兼ねてお話をお聞かせ願おうと思ふ。
そして少し野望を抱いているのは、寺社コンならぬ
「忍者コン」
はできないかなぁ、というところでござる。
忍者好きが集まり、忍者体験をして親睦を深めあう。
そんなプロデュースはできないものだろうか!?
否!
ダメだ今の関東圏における忍者ファンの規模から考えると、パイが少なすぎるw
でも寺社好きの方は一般人よりも忍者について結構な勢いで食いついてくれたので、既に有名になりつつある寺社コンの特別企画としてやってみてもおもしろいかもしれない。
忍者について少しでも知ってもらえるだろうしね。
でも由緒正しき武蔵流忍術を恋愛に使うとなったら頭目に怒られそうだなw
今度こっそり打診してみようw
そして以前から何度か書いているように、戦国期のくのいちを調査する上でかかせない「巫女」の知識。
巫女といえば神に仕える女性のことをいうけれど、今調べてる限りだと古代の原始神道に遡るほど、女性の方がもはや社会における立場が高かったようでござる!
中国の書物「魏志倭人伝」にも名が残る大和帝国の女王、卑弥呼については皆の衆もよくご存知であろう。
なぜ女性がトップに立っていたのか。
今の神職には基本的に男性が就いているが、特に古墳時代などまでは祈祷をはじめとした呪術を行えるのは女性のみであり、神に一番近しい存在である女性が絶大なる権力をもっていたのでござる。
卑弥呼もその流れで日本のトップに立ったのだ。
それが段々と立場が下がって行き、、、今のような男性神職の補佐的な立場に落ち着いたようでござる。
まだまだ今は古代神道あたりの調査までなので、戦国期などの巫女と忍者の関係は研究が進んだら解説するでござるよ!
その巫女の研究をするにあたって、どうしても避けられないのが「神道」とはなんぞや?というところ。
拙者は結構昔からこうゆうの好きだったのと、ご先祖様が実は天草にある神社を開いた僧侶(昔は神仏習合で神道と仏教両方扱ってたから、坊さんが神社を開くこともあった)だったらしく、若かりし頃の自分ルーツ探しのときにいろいろ調べて、ある程度の知識はあったと思っていたのだが、奥が深く複雑なため、やはりまだまだ知識が足りない。
神道のルーツは古事記を読み解くところから入るのだけれど、古事記の現代語訳は読んでももう、とにかく登場する神様が多すぎて多すぎて、あまり深くは追求してこなかった分野でござった。
でもやっぱ調べないと進まないなぁ、と思い調査を進めている先月のあるときだった。
「古事記」で検索していろいろと情報収集していると・・・こんな検索結果が出て来たのでござる。
寺社コン 川越八幡宮で古事記を学ぼうコン(婚活イベント)
・・・寺社コン!?
去年の暮れ頃に、会社の同僚から「寺社コンってのがあるらしいよ」と聞いたことはあった。
どうやら街コンが「街」をモチーフにしたコンパだとしたら、寺社コンのモチーフは「神社仏閣バージョン」らしい。
最近巷でジワジワと人気が出て来ているようでござる。
それを聞いたとき、婚活イベントなんて恥ずかしいし、まだ20代だからそこまで女性に困るような年でもないし。。
寺社はすごく好きなので魅力的だけどお金払ってまでいくことないな、と思っておった。
が、そのサイトを見てみると、、、、
川越八幡宮の神主さんが古事記について講義をしてくれるらしいとのこと!!!
ようわからん古事記のお話を、現役神主さんからお話が聞けるなんて!
すごく行きたくなり、でも恥ずかしいし、という気持ちもあり葛藤したが何事も修行じゃ!
と思って参加を申し込んだ。
すると数日後、主催者さまからメールがあり、どうやら参加できることになったらしい。
ということで昨日、人生初の婚活イベントに行って参りましたw
1年くらい彼女もいないですし、もしかしたらイイ出会いがあるかもしれないですからな!
集合場所は埼玉県の川越駅。
縁結びで有名な川越八幡宮で良縁祈願をしてもらい、その後川越散策、そして飲み会へと移るプランとのこと。
おそるおそる駅前の集合場所に馳せ参じた拙者!
周りを見渡せば、、、20vs20で総勢40名ほどの男女が!!
そしてなんとなく見る限り、30代〜40代くらいの方ばかり!
中には50くらいの方もいただろうか。
結局自分の他に20代だったのは一人くらいしかいなかった。
あかん・・・完全に浮いた・・・
結構散策で歩くんかと思ってラフな格好してきたら、結構みなさんシャツとか着てる!!
皆様落ち着いておとなしそうな方が多く、自分だけなんか幼いよぅ。。。
「募集要項では10vs10って書いてあったのに結構多いっすね〜」
とか近くのお兄様とお話ししながら、徒歩10分ほどで川越八幡宮に到着。
【川越八幡宮 ※なんとも微妙なショットしか取れずw】
到着後、輪になって自己紹介。
声が小さい人が多くて名前が聞こえませぬ・・・
東京・埼玉から来ている人が多く、中には千葉や茨城からいらしている方もござりました。
その後、拝殿の中で良縁祈願のご祈祷!
実は拙者、拝殿の中に入ったご祈祷って初めてで、こんなに神聖なものなんだな、と思い知りやした!
神主さんの祝詞がすごく良い声で、祓いの鈴の音がすごく心地よくて、、、
いいもんですなぁ。
祈祷の後は待ちに待った神主さんによる古事記のご講話!
この川越八幡宮でのイベントは第2回らしいので、この後も使うだろうからネタバレはできませぬが、出雲大社に祀られる大国主命の神様と女性の神様の恋の物語をかたどった内容でござった。
一昨年にninjaに乗っていった出雲大社のお話なので、テンションも上がりまする!
非常にわかりやすい解説で、非常に貴重なお話をお伺いできたでござる。
拙者が一番心に残ったのは、以下のお言葉でござった。
こういう話をすると大体「神様も人間と同じように恋愛をされてたのですね」と感想を言われることが多いようなのだが、一歩進んで考えて欲しいとのこと。
神様が人間と同じように恋愛をしているのではないのです。
神様が恋愛したからこそ、人間は恋愛ができるのです。
確かにそうだよな、といろいろ考えさせられるお言葉でした。
うん、やっぱり日本の考え方っていいでござるな。
神社の集会所から出て、また徒歩で15分くらい歩き、川越大社喜多院へ。
この移動のときに女性の方とお話したのだが、その方は幕末が好きらしい。
新撰組に萌えるレキジョの方かな、、、と思ったらそうではなく、幕末の激動の時代そのものが好きだとのこと。
だいたい女性で歴史的なものが好きな方って、パワースポットで占いがどうのとか、イケメン武将や隊士ファンとかばかりなのかな、と思っていたのだが、こういうところには、ちゃんと日本の心をわかっていたり、歴史にロマンを感じる人がくるんだな、というのがわかった。
ちょうど拙者も幕末に最近興味津々なので、なかなか盛り上がったでござるよ!
そして喜多院の前に建てられた日枝神社に到着。
【日枝神社】
喜多院は、天台宗の寺院であり、天台宗の総本山は比叡山延暦寺。
そう、信長が焼き討ちしたところでござる。
日本の神道ではあらゆるモノに神が宿るという考えで、比叡山にももちろん神様がいらっしゃった。
仏教である天台宗は、比叡山全体を寺として使ったため、比叡山の神様の力を借りて、一緒に成長して行った宗派であるとのこと。
そのため、天台宗系列の寺院があるところには、必ず日枝神社があるとのことでござる。
「比叡山 → ひえい ざん → ひえ → 日枝」でござるね。
そして、徳川家光が生まれたという喜多院へ!
【喜多院本門】
【喜多院本堂】
しかし、なんと今日の節分祭の準備で中に入れないらしい。。。
拝観したかったぜよー!!
そして参加者の中ではメインイベントであろう懇親会へ!
会場がまさかの結婚式場だったw
それ知ってたらもうちょっとフォーマルな格好で来てたわw
主催者の方のご挨拶で乾杯!
ちょっとウケたのは、今日ご祈祷してくださった神主さんも参加していたのだが、この方独身で、参加者としてばっちりと参加費を払っていたところでござるw
このときいろんな人とお話ができたのだが、本当にいろんな方がいた。
そして・・・嫌というほど話が合う!!w
年齢の差がある人が多かったけれど、やはり同じ趣味を持つ者が集まるとこんなに盛り上がるんだなぁ、とびっくりしてしまった。
ただ神社仏閣をベースにちょっとずつそれぞれ個性があって、占いとかが好きな人も入れば、仏像が好きな人、歴史が好きな人、神話が好きな人など、とても面白かった。
中には本当はあんまり神社とか興味ないです、というツワモノもいらっしゃったけど(参加条件に書いてあったのに・・・笑)
ただ忍者はいなかったけどね!!
これは心から思ったけど、神社仏閣とか歴史が好きな方でいい人を見つけたい人は、参加するととても良いと思う。
イベント自体が神聖だし、そもそも趣味の範囲だからおもしろいし、そこに集まる人も趣味は絶対合うから、気は絶対合うはずでござる。
参加してみて、仮になんか今日は違うな。。。と思っても、趣味に没頭すればいいだけだし。
かくいう拙者は、若さ故の特権か結構モテたでござる!(自称!)
とある女性から「嵩丸さんが一番カッコいいと思いました」とかも言われたでござる!(ホントだよ)
※どうか参加者の方、見てませんように。。。
こんな拙者でもそんな奇跡がござりますで、ぜひとも興味ある方は参加してみてくだされ!!
拙者の恋の行方は・・・いずれ乞うご期待!!
ちなみに飲み会のとき聞いたのだが、神主さん、脱サラして神職の道に入ったとのこと。
しかも年は違うが、誕生日が全く一緒でござったw
これも何かの縁だし、祖先が神職であることからいずれ勉強しなくてはな、と思っていたところだったので、貴重なお話をもっと聞きたくなり、ご連絡先をお伺いできたのは相当な収穫でござった。
今度御礼も兼ねてお話をお聞かせ願おうと思ふ。
そして少し野望を抱いているのは、寺社コンならぬ
「忍者コン」
はできないかなぁ、というところでござる。
忍者好きが集まり、忍者体験をして親睦を深めあう。
そんなプロデュースはできないものだろうか!?
否!
ダメだ今の関東圏における忍者ファンの規模から考えると、パイが少なすぎるw
でも寺社好きの方は一般人よりも忍者について結構な勢いで食いついてくれたので、既に有名になりつつある寺社コンの特別企画としてやってみてもおもしろいかもしれない。
忍者について少しでも知ってもらえるだろうしね。
でも由緒正しき武蔵流忍術を恋愛に使うとなったら頭目に怒られそうだなw
今度こっそり打診してみようw
研究途中報告 〜武蔵一族忍者とその他忍者の違い〜
Posted on Sunday, Feb 03, 2013 16:56
前回なんか暗いエントリを書いてしまいまして、失礼いたし申したw
会社の仕事もそうだけど、それよりも忍者関連研究に風呂敷を広げすぎてしまい、あわあわしているでござるw
ブログの更新が滞ってしまっていて申し訳ござらん!
仲間のしころちゃんや千さんがブイブイ忍者活動をしているブログ記事を見て羨ましさ3000点でござります。。
現在、なぜか普通の忍者調査からちょっと外れた調査ばかり行っているでござる。
1つは、江戸時代において暗躍した忍者の実情。
もう1つはくのいちが扮した巫女達の実情。
どれもそんなに忍者としての研究としては、深く触れられていないテーマだと思ふ。
1つ目については、先日、武蔵一族の代表・朱雀さまから承った特別任務で、徳川幕府の隠密についてさらに詳細な調査を行うことと相成り申した。
一族ご祖先で、外国奉行であった柴田貞太郎剛中様。
この方の生涯とあたった任務を調べている真っ最中でござる。
最終的には幕末に臨時でできた役職・外国奉行として大活躍され、文久2年の遣欧使節団で福沢諭吉ともヨーロッパに渡ったほどのお方。
そこに至るまでは評定所(今でいう最高裁判所)の職員をされていたり、外国奉行と兼務して大阪や神戸の町奉行も担当していたご様子。
これらは江戸の町奉行と区別するために「遠国奉行」と呼ばれたのでござるが、その職務としては、その町の行政、交易、治安維持、寺社管轄など、すごく多岐に渡っていた。
それに江戸の町奉行というのは相当に多忙だったらしく、過労死率20%ほどだったらしい。
江戸の町奉行だけでそんなだったのに、大阪と神戸の町奉行、外国奉行を兼務していた柴田剛中は、相当に切れ者だったのでござろう。
一体どうやって仕事をこなしていったのか、と研究熱が高まるでござるよ!!
ということで、徳川幕府における司法制度や警察制度を紐解いているところにござります。
おそらく犯罪者を捕まえたり、情報収集をするにあたって、忍術を使っていたはずだと仮定して...
すると、、、
あかん、おもろいw
忍者とは外れるが、もともと拙者は法学部卒で今も法律関係の仕事をしているため、裁判ものや刑事ものが大好物なのでござる。
江戸時代における司法システム、行政システムに至るまで、今と違いすぎてぶったまげることも多い。
例えば、犯罪者を町奉行の同心・与力の下に岡っ引きや目明しとして雇って、検挙率に応じて罪を軽くしてやるシステムなど、いかにも冤罪が多発しそうなシステムもあったらしい。
実際に保身目的に罪をでっち上げる者が多く、冤罪は多発していたようでござる。
きっとあらゆるところで言っていたのでござろうな。
ー それでも拙者はやってない
と。
さて、本題に戻すとして・・・・
何よりもおもしろいと感じたは、現代の武蔵一族が所有している武器と資料のつながりが見えたところ、そしてそこから伊賀や甲賀、戸隠にはない「独自忍術(?)の存在」について諸々考えが浮かび上がって来たことでござる。
我が一族の田端の道場には、これでもかっ!!っていうくらい、たくさんの武器が展示してある。
最初に道場に伺ったときはおったまげたものだ・・・
でも、最初に訪れてからずっとおかしいな、と思っていたことがあって、それまで伊賀とか甲賀とか戸隠の忍術資料館にいっても、絶対に展示されていないような武器が結構存在するのだ。
それが「捕物」関連の武器なのでござる。
時代劇などで「御用だ!」と叫びながら走り回る岡っ引きが持っていて、一番有名なのは「十手」だろう。
そして一族の忍びの証としてみんな持っている「万力鎖」も、実は捕具なのである。
※ちなみにこの前道場に置いて来てしまった!どっかにあるかなぁ。。
他にも「さす股」「鉄棒」「袖がらみ」「角手」「鉄拳」など、一般の忍者資料集などには載っていない武器が山ほど展示されているのでござる。
最初に道場に訪れたときに
「し、、、知らない忍具がこんなにある・・・」
と、当時ショックを受けてあらゆる忍者の資料を探したけど、載っていなかった。
で、上述した研究を進めるために「江戸の司法警察辞典
(柏書房)」を読んでみたら・・・
載ってる載ってる!!
道場にある武器ほぼ全部載ってるやん!
という興奮が押さえられんでござった。
「いやいや、忍者とあんまカンケーないじゃん(汗」
と最近まで拙者はそう思っていた。
しかし違うのだ。
既存の忍者像の枠が広がったと考えるべきなのだ。
徳川幕府お抱えの忍者として活躍した武蔵流忍術と、その他地域の忍術との決定的な違い。
それはそう、正義の忍術としての一面なのでござる。
町にはびこる悪党どもを捕えるため、世の中の平和を維持するため、そのために使われた忍術なのだ。
その他の忍者は戦国時代が活躍のピークだった。
江戸時代初期には甲賀百人組(その職務は情報収集でなくて鉄砲隊)として士官した甲賀忍者も、江戸時代中期以降は何度も士官させてくれ、と頼んでいたくらいだ。
しかし、武蔵忍者は平和な時代である江戸時代においてこそ、その実力を発揮して来た。
江戸〜幕末にかけて、唯一活躍した忍者なのではなかろうか。
忍者と言えば戦国時代だし、拙者も戦国時代におけるあらゆる謀略、暗殺などでの活躍に憧れて忍者に興味を持った。
江戸における平和な時代で悪を懲らしめる忍者像、そして外国諸国と渡り合う忍者像というのは、拙者も想像していなかったし、ほかの誰も想像していなかっただろう。
これって既存の凝り固まった忍者像に、さらなる拡張を持たせることができるのではないだろうか。
それがアピールできるのは、きっと伊賀でも甲賀でもなく、武蔵のみ。
非常におもしろいところに属させていただいたな、と心底思ったので、ブログ書いてみました。
この辺ももっと資料収集して、江戸忍者の活躍を証明していきたいでござる!
会社の仕事もそうだけど、それよりも忍者関連研究に風呂敷を広げすぎてしまい、あわあわしているでござるw
ブログの更新が滞ってしまっていて申し訳ござらん!
仲間のしころちゃんや千さんがブイブイ忍者活動をしているブログ記事を見て羨ましさ3000点でござります。。
現在、なぜか普通の忍者調査からちょっと外れた調査ばかり行っているでござる。
1つは、江戸時代において暗躍した忍者の実情。
もう1つはくのいちが扮した巫女達の実情。
どれもそんなに忍者としての研究としては、深く触れられていないテーマだと思ふ。
1つ目については、先日、武蔵一族の代表・朱雀さまから承った特別任務で、徳川幕府の隠密についてさらに詳細な調査を行うことと相成り申した。
一族ご祖先で、外国奉行であった柴田貞太郎剛中様。
この方の生涯とあたった任務を調べている真っ最中でござる。
最終的には幕末に臨時でできた役職・外国奉行として大活躍され、文久2年の遣欧使節団で福沢諭吉ともヨーロッパに渡ったほどのお方。
そこに至るまでは評定所(今でいう最高裁判所)の職員をされていたり、外国奉行と兼務して大阪や神戸の町奉行も担当していたご様子。
これらは江戸の町奉行と区別するために「遠国奉行」と呼ばれたのでござるが、その職務としては、その町の行政、交易、治安維持、寺社管轄など、すごく多岐に渡っていた。
それに江戸の町奉行というのは相当に多忙だったらしく、過労死率20%ほどだったらしい。
江戸の町奉行だけでそんなだったのに、大阪と神戸の町奉行、外国奉行を兼務していた柴田剛中は、相当に切れ者だったのでござろう。
一体どうやって仕事をこなしていったのか、と研究熱が高まるでござるよ!!
ということで、徳川幕府における司法制度や警察制度を紐解いているところにござります。
おそらく犯罪者を捕まえたり、情報収集をするにあたって、忍術を使っていたはずだと仮定して...
すると、、、
あかん、おもろいw
忍者とは外れるが、もともと拙者は法学部卒で今も法律関係の仕事をしているため、裁判ものや刑事ものが大好物なのでござる。
江戸時代における司法システム、行政システムに至るまで、今と違いすぎてぶったまげることも多い。
例えば、犯罪者を町奉行の同心・与力の下に岡っ引きや目明しとして雇って、検挙率に応じて罪を軽くしてやるシステムなど、いかにも冤罪が多発しそうなシステムもあったらしい。
実際に保身目的に罪をでっち上げる者が多く、冤罪は多発していたようでござる。
きっとあらゆるところで言っていたのでござろうな。
ー それでも拙者はやってない
と。
さて、本題に戻すとして・・・・
何よりもおもしろいと感じたは、現代の武蔵一族が所有している武器と資料のつながりが見えたところ、そしてそこから伊賀や甲賀、戸隠にはない「独自忍術(?)の存在」について諸々考えが浮かび上がって来たことでござる。
我が一族の田端の道場には、これでもかっ!!っていうくらい、たくさんの武器が展示してある。
最初に道場に伺ったときはおったまげたものだ・・・
でも、最初に訪れてからずっとおかしいな、と思っていたことがあって、それまで伊賀とか甲賀とか戸隠の忍術資料館にいっても、絶対に展示されていないような武器が結構存在するのだ。
それが「捕物」関連の武器なのでござる。
時代劇などで「御用だ!」と叫びながら走り回る岡っ引きが持っていて、一番有名なのは「十手」だろう。
そして一族の忍びの証としてみんな持っている「万力鎖」も、実は捕具なのである。
※ちなみにこの前道場に置いて来てしまった!どっかにあるかなぁ。。
他にも「さす股」「鉄棒」「袖がらみ」「角手」「鉄拳」など、一般の忍者資料集などには載っていない武器が山ほど展示されているのでござる。
最初に道場に訪れたときに
「し、、、知らない忍具がこんなにある・・・」
と、当時ショックを受けてあらゆる忍者の資料を探したけど、載っていなかった。
で、上述した研究を進めるために「江戸の司法警察辞典
載ってる載ってる!!
道場にある武器ほぼ全部載ってるやん!
という興奮が押さえられんでござった。
「いやいや、忍者とあんまカンケーないじゃん(汗」
と最近まで拙者はそう思っていた。
しかし違うのだ。
既存の忍者像の枠が広がったと考えるべきなのだ。
徳川幕府お抱えの忍者として活躍した武蔵流忍術と、その他地域の忍術との決定的な違い。
それはそう、正義の忍術としての一面なのでござる。
町にはびこる悪党どもを捕えるため、世の中の平和を維持するため、そのために使われた忍術なのだ。
その他の忍者は戦国時代が活躍のピークだった。
江戸時代初期には甲賀百人組(その職務は情報収集でなくて鉄砲隊)として士官した甲賀忍者も、江戸時代中期以降は何度も士官させてくれ、と頼んでいたくらいだ。
しかし、武蔵忍者は平和な時代である江戸時代においてこそ、その実力を発揮して来た。
江戸〜幕末にかけて、唯一活躍した忍者なのではなかろうか。
忍者と言えば戦国時代だし、拙者も戦国時代におけるあらゆる謀略、暗殺などでの活躍に憧れて忍者に興味を持った。
江戸における平和な時代で悪を懲らしめる忍者像、そして外国諸国と渡り合う忍者像というのは、拙者も想像していなかったし、ほかの誰も想像していなかっただろう。
これって既存の凝り固まった忍者像に、さらなる拡張を持たせることができるのではないだろうか。
それがアピールできるのは、きっと伊賀でも甲賀でもなく、武蔵のみ。
非常におもしろいところに属させていただいたな、と心底思ったので、ブログ書いてみました。
この辺ももっと資料収集して、江戸忍者の活躍を証明していきたいでござる!
忍者の落し物
Posted on Monday, Jan 21, 2013 22:25