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大河ドラマに手裏剣が!! 〜江戸時代の手裏剣術〜

皆の衆は今年の大河ドラマ「八重の桜」は見ているでござろうか?
拙者は幕末も大好きな時代のひとつ。
毎週欠かさず拝見しているでござる。

会津藩が京都守護職に任命され、京の町に出張する会津藩士たち。
八重のお兄ちゃん、覚馬をはじめ、会津藩士の多くは京へと旅立っていく。
それでも次々と攘夷派が殺戮を犯す物騒な京の町の治安を維持するには人手も足りず・・・
そんな中、後の新撰組となる壬生の浪士たちが集まったあたり。
いよいよ盛り上がってきたでござるな!

その頃、会津藩士の佐川官兵衛は、刀傷沙汰を起こしてしまったことから、謹慎を命じられ、京都へ連れて行ってもらえなかった。
腕には自信もあるし、忠義心は人一倍の官兵衛。
みなが京都で活躍しているのに自分だけ会津にいるのは耐えられない。。

ついに家老の目を盗んで、単騎、京へと駆け上ったる!

【コラ!待て官兵衛!!】


【捕まってたまるか!】


【追跡する武士が懐に手を忍ばせた・・・】


【こ、、、これは・・・!?】


【棒手裏剣だ!!!!】


【うおおおおおおお・・・】


【後ろからのアングル】


【喰らえ!!】


【ずおりゃあ!!!】


【直打法か!?】


【いてぇぇぇ!!】


というわけで武士階級である会津藩士が、なんと棒手裏剣を使ったのでござる!


手裏剣って忍者の武器じゃないの?

という声が聞こえてきそうであるが、そこはノンノン。

手裏剣術は立派な武術であって、江戸時代でもしっかりとした流派があった武士のための武術だったのだ。
だが、小さくて見えない手裏剣はどこから飛んでくるかわからず、また毒などを塗ると殺傷能力も高かったことから卑怯な武術とされ、江戸市内では手裏剣の公式な稽古は禁止されていたらしい。

逆に江戸から出れば手裏剣はむしろ奨励され、なんと15代将軍徳川慶喜公も手裏剣の達人だったらしいでござるよ。

そういった背景からすれば、会津藩士が手裏剣を使うのもうなづけるでござるね!!!

正直、映像作品で武士が手裏剣を投げるところは見たことがなかったでござる。
今年の大河ドラマ、なかなかやりまするな!
しかも馬に乗りながらの棒手裏剣。。
なかなかあの上下運動のさなかに直打法で動く目標を指すのは至難なはずだ・・・
ひょっとしたら弓で行う流鏑馬よりも難しいのではないだろうか。

馬に乗りながらの棒手裏剣で的を射る競技、流行らないだろうか・・・
うーん。。。なんとなく地味でござるなw

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