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雑賀孫市 〜捨て旗の術〜
Posted on Monday, Jul 09, 2012 07:30
夜が明け申した。
月曜日は憂鬱でござるな。。
さ、次の問題は拙者の好きな戦国時代にまつわる問題でござる。
戦国時代が一番忍者が活躍する時代。
拙者、ワクワクしてきたぞ!
第5回忍者検定中級 第6問(配点:1点)
===================================================
和田惟政の援軍が来た、と喜んだ織田信長が、雑賀孫一率いる雑賀衆に一斉の
銃撃を浴びせられ、そして先の尖った青竹を仕掛けられて信長軍は散々苦しめられた。
さて、雑賀衆のこの戦術とは何の術か。
①呑牛の術
②捨て旗の術
③微塵隠れの術
④水切りの術
===================================================
来ましたよ、雑賀孫市。
信長の野望では「鈴木重秀」という武将となっているが、呼び方については諸説ある。
ここではおそらく一番有名であろう雑賀孫市とお呼び奉ろう。
巷では忍者集団だったのではないかとも言われる雑賀衆は、紀伊(今の和歌山)にを本拠地とした鉄砲集団である。
特定の大名に仕えるのではなく、合戦が始まれば、対価をもらって合戦に参加する傭兵集団だった。
当時は「雑賀衆を味方にすれば必ず勝ち、敵にすれば必ず負ける」とも言われるほど、実力のある団体だったようだ。
この雑賀衆を率いる頭領が、雑賀孫市でござった。
この頃、室町幕府15代将軍、足利義昭の上洛を成功させ、着実に力を付けていた織田信長がいた。
しかし、織田信長と足利義昭との間に確執ができて不仲となってくると、ついに足利義昭は、信長の周囲の有力武将(武田、上杉、朝倉、毛利、本願寺軍などオールスター!)に、信長討伐令を出したのだった。
これに呼応する形で、一向宗(浄土真宗)の顕如上人率いる石山本願寺軍も信長に対して挙兵する。
孫市は、実は熱心な一向宗の教徒であり、このときの本願寺の援助を買って出た。
そして、自慢の鉄砲隊を率いて4万にもなる大量の織田軍に向かって銃撃し、宣戦布告した。
これがこの後約10年続く、石山合戦の始まりである。
・
・
・
開戦した日の明くる朝。辺りは霧に包まれている。
信長は中津川の湿地帯に布陣していた。
信長「ふ〜む、あの雑賀衆が向こうについたか。これは厄介よの。。。」
と策を練っていると、川の向こうから織田軍の家臣、和田惟政の三ツ星の旗が見え、こちらに向かってきているではないか。
信長「おぉ!惟政の奴、援軍をよこしおったか!でかしたぞ!」
と喜びに顔が崩れた瞬間!
なんと一瞬にして三ツ星の旗が地面に捨てられ、八咫烏の描かれた旗に変わったのである。
信長「こ、、この八咫烏の旗は。。。 雑賀衆!!!??」
気づいたときは既に時遅し。
パパパパパパパーーーーーン!!!!!!!!!!
と銃声が鳴り響き、逃げ場のない信長軍は大ダメージを被った。
これが世に言う「捨て旗の術」である。
=====================
回答:②捨て旗の術
=====================
どうやら霧の向こうでは、奇襲に成功した雑賀軍が身を隠している音が聞こえる。
信長「よくも・・・一泡吹かせてくれるわ!」
織田軍は中津川を渡って雑賀軍に突っ込んでいった。
だがおかしい。
織田軍方の馬や人が皆、川の中で倒れ、もがき苦しんでいる。。
!!! こ、これは・・・!
川の中に先を鋭く尖らせた青竹が仕掛けられている!!!
これにより織田軍は渡河するにも苦戦を強いられた。
辺りにはまだ霧が立ちこめている。
やっとの思いで織田軍が向こう岸に着いたところ、まだ何人かの雑賀衆の兵が残っていた。
信長「くははっ!隠れきれなかったか・・・食らえ!」
と、一斉に槍で刺し、刀で斬り、弓で射ったところ・・・
その兵は、青竹に足軽具足をつけた偽の兵であったという。
・
・
・
臨場感が出るかと思って、ちょっと小説テイストにしてみました(笑)
この多重のゲリラ戦法は本当に素晴らしい。
諸葛亮孔明もびっくりなのではないか。
ただ、これは忍術というよりは、完全に戦における軍法であると思ふ。
雑賀孫市忍者説もあるが、拙者はどうもその説には乗れない。
孫市が使う「土遁の術」というものもあるが、忍法というよりは、これも合戦で使う軍法であると考えている。
忍法と軍法の違いは、この定義で合っているかはわからないが、以下のようなものだと思ふ。
忍法=個人や少人数チームで使用する法
軍法=一定人数から組織される隊を統率する指揮官がおり、その指揮に基づき行う法
サッカーでいえば、忍法は1対1のときのフェイント、軍法はフリーキックなどのセットプレーといったところかな。。
最後に、それ以外の選択肢についても軽く触れておこう。
機会があればまた詳しく記すつもりでござる。
①呑牛の術
加藤段蔵(飛び加藤)が、上杉謙信の居城、春日山城の城下で見せた牛をひと呑みにしてしまう術。
おそらく幻術の類いであろう。
③微塵隠れの術
これは白戸三平の「サスケ」が使う術で、洞窟の中に予め爆薬を仕掛けておき、敵をおびき寄せて爆発させ、自分は穴を掘って身を潜めるという大技。
自分は死なないメガンテのようなものである。
④水切りの術
加賀の兵法者、草深甚四郎という者が使った術で、桶に張った水を小太刀でピッと斬ると、遥か後の方を歩いている男がまっぷたつに両断されて息絶えるという遠隔殺法のような術。
(ホントかよ・・・)
あ、、ちなみに、孫市が旗捨ての術で使用した旗の持ち主「和田惟政」。
実はこの武将も甲賀出身の忍者という説があるのでござる。
また別の機会にご紹介いたそう。
月曜日は憂鬱でござるな。。
さ、次の問題は拙者の好きな戦国時代にまつわる問題でござる。
戦国時代が一番忍者が活躍する時代。
拙者、ワクワクしてきたぞ!
第5回忍者検定中級 第6問(配点:1点)
===================================================
和田惟政の援軍が来た、と喜んだ織田信長が、雑賀孫一率いる雑賀衆に一斉の
銃撃を浴びせられ、そして先の尖った青竹を仕掛けられて信長軍は散々苦しめられた。
さて、雑賀衆のこの戦術とは何の術か。
①呑牛の術
②捨て旗の術
③微塵隠れの術
④水切りの術
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来ましたよ、雑賀孫市。
信長の野望では「鈴木重秀」という武将となっているが、呼び方については諸説ある。
ここではおそらく一番有名であろう雑賀孫市とお呼び奉ろう。
巷では忍者集団だったのではないかとも言われる雑賀衆は、紀伊(今の和歌山)にを本拠地とした鉄砲集団である。
特定の大名に仕えるのではなく、合戦が始まれば、対価をもらって合戦に参加する傭兵集団だった。
当時は「雑賀衆を味方にすれば必ず勝ち、敵にすれば必ず負ける」とも言われるほど、実力のある団体だったようだ。
この雑賀衆を率いる頭領が、雑賀孫市でござった。
この頃、室町幕府15代将軍、足利義昭の上洛を成功させ、着実に力を付けていた織田信長がいた。
しかし、織田信長と足利義昭との間に確執ができて不仲となってくると、ついに足利義昭は、信長の周囲の有力武将(武田、上杉、朝倉、毛利、本願寺軍などオールスター!)に、信長討伐令を出したのだった。
これに呼応する形で、一向宗(浄土真宗)の顕如上人率いる石山本願寺軍も信長に対して挙兵する。
孫市は、実は熱心な一向宗の教徒であり、このときの本願寺の援助を買って出た。
そして、自慢の鉄砲隊を率いて4万にもなる大量の織田軍に向かって銃撃し、宣戦布告した。
これがこの後約10年続く、石山合戦の始まりである。
・
・
・
開戦した日の明くる朝。辺りは霧に包まれている。
信長は中津川の湿地帯に布陣していた。
信長「ふ〜む、あの雑賀衆が向こうについたか。これは厄介よの。。。」
と策を練っていると、川の向こうから織田軍の家臣、和田惟政の三ツ星の旗が見え、こちらに向かってきているではないか。
信長「おぉ!惟政の奴、援軍をよこしおったか!でかしたぞ!」
と喜びに顔が崩れた瞬間!
なんと一瞬にして三ツ星の旗が地面に捨てられ、八咫烏の描かれた旗に変わったのである。
信長「こ、、この八咫烏の旗は。。。 雑賀衆!!!??」
気づいたときは既に時遅し。
パパパパパパパーーーーーン!!!!!!!!!!
と銃声が鳴り響き、逃げ場のない信長軍は大ダメージを被った。
これが世に言う「捨て旗の術」である。
=====================
回答:②捨て旗の術
=====================
どうやら霧の向こうでは、奇襲に成功した雑賀軍が身を隠している音が聞こえる。
信長「よくも・・・一泡吹かせてくれるわ!」
織田軍は中津川を渡って雑賀軍に突っ込んでいった。
だがおかしい。
織田軍方の馬や人が皆、川の中で倒れ、もがき苦しんでいる。。
!!! こ、これは・・・!
川の中に先を鋭く尖らせた青竹が仕掛けられている!!!
これにより織田軍は渡河するにも苦戦を強いられた。
辺りにはまだ霧が立ちこめている。
やっとの思いで織田軍が向こう岸に着いたところ、まだ何人かの雑賀衆の兵が残っていた。
信長「くははっ!隠れきれなかったか・・・食らえ!」
と、一斉に槍で刺し、刀で斬り、弓で射ったところ・・・
その兵は、青竹に足軽具足をつけた偽の兵であったという。
・
・
・
臨場感が出るかと思って、ちょっと小説テイストにしてみました(笑)
この多重のゲリラ戦法は本当に素晴らしい。
諸葛亮孔明もびっくりなのではないか。
ただ、これは忍術というよりは、完全に戦における軍法であると思ふ。
雑賀孫市忍者説もあるが、拙者はどうもその説には乗れない。
孫市が使う「土遁の術」というものもあるが、忍法というよりは、これも合戦で使う軍法であると考えている。
忍法と軍法の違いは、この定義で合っているかはわからないが、以下のようなものだと思ふ。
忍法=個人や少人数チームで使用する法
軍法=一定人数から組織される隊を統率する指揮官がおり、その指揮に基づき行う法
サッカーでいえば、忍法は1対1のときのフェイント、軍法はフリーキックなどのセットプレーといったところかな。。
最後に、それ以外の選択肢についても軽く触れておこう。
機会があればまた詳しく記すつもりでござる。
①呑牛の術
加藤段蔵(飛び加藤)が、上杉謙信の居城、春日山城の城下で見せた牛をひと呑みにしてしまう術。
おそらく幻術の類いであろう。
③微塵隠れの術
これは白戸三平の「サスケ」が使う術で、洞窟の中に予め爆薬を仕掛けておき、敵をおびき寄せて爆発させ、自分は穴を掘って身を潜めるという大技。
自分は死なないメガンテのようなものである。
④水切りの術
加賀の兵法者、草深甚四郎という者が使った術で、桶に張った水を小太刀でピッと斬ると、遥か後の方を歩いている男がまっぷたつに両断されて息絶えるという遠隔殺法のような術。
(ホントかよ・・・)
あ、、ちなみに、孫市が旗捨ての術で使用した旗の持ち主「和田惟政」。
実はこの武将も甲賀出身の忍者という説があるのでござる。
また別の機会にご紹介いたそう。
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