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心の上に置くべき拙者の刃 〜武蔵一族忍術講座〜
Posted on Saturday, May 25, 2013 21:54
本日は月1で行われる、頭目による忍術講座の日。
テーマは現代に活かす忍術。
今日は本格的な忍者について学ぶことができたといえよう。
完全非公開なので内容はあんまり詳しく言えないが・・・
みんながうっすらわかっているようなことについて、改めて感じたことを記す。
忍者の定義って難しい。
周りの忍者関連の人に聞いても、人によって答えは様々。
しかも皆が悩んでいる。
でも今回の講座でなんとなくわかってきた。
とにかく忍者に必要なことは
如何に誰にもみつからずに、バレずに事をなすか。
これに尽きる。
そもそも遁走術なんて、見つかっている時点でアウト。
手裏剣がうまくても、それにより1つ死体ができればそこに「非日常」が生まれる訳で、何かと足がつく。
すると遁走術や武術を訓練するよりも、もっと見つからない方法やバレない方法を模索するべきだろう。
そうやって原点に立ち返ると、日常の流れにスッと溶け込み、
・その日常の流れを一切かき乱さずに目的を達成すること
・または日常の流れが変わったことを気づかせず、ごく自然に別の流れに持っていくこと
こそ肝要であることに気づく。
これっていくら手裏剣や体術を練習してもできることじゃないんじゃないかな。
身体を鍛えて強くなるのも大事だけど、忍者として考えたら、それって本当に必要かどうかはもうちょっと検討の余地があると思う。
武士とはまた別の役割が必要だったから忍びがいたはずなので、武士と同じ強さを求めるだけなら忍者いらないし。
最近は忍者活動で結構目立つ行動をしていたので、その原点を忘れていた。
現代のこの流れに、なんとか「忍者」という一石を投じよう、投じようとしてきた気がする。
しかしその一石は、流れを分断し、大きな波紋を立てる。
これが本来の忍びなのかと言われるとやっぱり違うんだろうな。
もちろん楽しいことが多いので、今後も活動はしていきたいんだけど、そのためにはちゃんと
「今やっていることは本来の忍びとは違う」
ということは認識しておかねば、過去に行きた忍者達に失礼なんだと感じるようにしよう。
そしてそれは、皆もちゃんと感じていることだと思う。
だからこそ「忍」の原点はちゃんと心の一本軸、否、「心の上に置く刃」にしておき、いつでもその刃を忘れないようにしておかねばならないと感じたでござる。
可能であればやっぱりその本来の忍びの姿を伝えていくべきなんだろうな、とも感じた講座でござった。
非常に大事なことを教えて、気づかさせていただいた。
まぁいろんなイメージや考え方はあると思うが、今後忍者関連の資料を調べたりするときは、そんなところに軸を置いて、研究をさらに深めていこうと感じ申した。
・・・・
・・・・・
・・・・・・・
プハァ!!!!
真面目モード解禁っ!!w
実は今からまた伊賀に向かい、「忍者岳」に登ってくるでござる!!
忍装束で山を登る!
という行為を前から行ってみたくて、一体どんな感じになるのか実験してみたかったところでござる。
今回たまたま池田先生が企画してくださったので日帰りだけど行くことにしたんす!
待ってろよ、忍者岳!!
テーマは現代に活かす忍術。
今日は本格的な忍者について学ぶことができたといえよう。
完全非公開なので内容はあんまり詳しく言えないが・・・
みんながうっすらわかっているようなことについて、改めて感じたことを記す。
忍者の定義って難しい。
周りの忍者関連の人に聞いても、人によって答えは様々。
しかも皆が悩んでいる。
でも今回の講座でなんとなくわかってきた。
とにかく忍者に必要なことは
如何に誰にもみつからずに、バレずに事をなすか。
これに尽きる。
そもそも遁走術なんて、見つかっている時点でアウト。
手裏剣がうまくても、それにより1つ死体ができればそこに「非日常」が生まれる訳で、何かと足がつく。
すると遁走術や武術を訓練するよりも、もっと見つからない方法やバレない方法を模索するべきだろう。
そうやって原点に立ち返ると、日常の流れにスッと溶け込み、
・その日常の流れを一切かき乱さずに目的を達成すること
・または日常の流れが変わったことを気づかせず、ごく自然に別の流れに持っていくこと
こそ肝要であることに気づく。
これっていくら手裏剣や体術を練習してもできることじゃないんじゃないかな。
身体を鍛えて強くなるのも大事だけど、忍者として考えたら、それって本当に必要かどうかはもうちょっと検討の余地があると思う。
武士とはまた別の役割が必要だったから忍びがいたはずなので、武士と同じ強さを求めるだけなら忍者いらないし。
最近は忍者活動で結構目立つ行動をしていたので、その原点を忘れていた。
現代のこの流れに、なんとか「忍者」という一石を投じよう、投じようとしてきた気がする。
しかしその一石は、流れを分断し、大きな波紋を立てる。
これが本来の忍びなのかと言われるとやっぱり違うんだろうな。
もちろん楽しいことが多いので、今後も活動はしていきたいんだけど、そのためにはちゃんと
「今やっていることは本来の忍びとは違う」
ということは認識しておかねば、過去に行きた忍者達に失礼なんだと感じるようにしよう。
そしてそれは、皆もちゃんと感じていることだと思う。
だからこそ「忍」の原点はちゃんと心の一本軸、否、「心の上に置く刃」にしておき、いつでもその刃を忘れないようにしておかねばならないと感じたでござる。
可能であればやっぱりその本来の忍びの姿を伝えていくべきなんだろうな、とも感じた講座でござった。
非常に大事なことを教えて、気づかさせていただいた。
まぁいろんなイメージや考え方はあると思うが、今後忍者関連の資料を調べたりするときは、そんなところに軸を置いて、研究をさらに深めていこうと感じ申した。
・・・・
・・・・・
・・・・・・・
プハァ!!!!
真面目モード解禁っ!!w
実は今からまた伊賀に向かい、「忍者岳」に登ってくるでござる!!
忍装束で山を登る!
という行為を前から行ってみたくて、一体どんな感じになるのか実験してみたかったところでござる。
今回たまたま池田先生が企画してくださったので日帰りだけど行くことにしたんす!
待ってろよ、忍者岳!!
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Comment
千
2013.05.25 at 22:20 | Edit
真面目なこと書いちゃって!!
確かに、過去に存在した忍を目指すのであれば、忍者をアピールするってのはおかしなことなんだよねー。
でも、臨機応変に生きるのが忍。
現代のニーズに合わせて活動することは間違った姿ではない。
と、最近思うよー(o>ω<o)
忍者岳、誰もいけなくなっちゃったからレポよろしく!
嵩丸
2013.05.25 at 22:43 | Edit
そうだよねー。
全然現代のアピールが悪いとは全く思ってなくて、むしろいいことだとは思うんだけど、ちゃんと過去というか本来の忍びとの違いを意識しよう!と再確認した感じかな。そして本来の姿の方にももっとスポットライトをあてたいな、って思っただけ!
忍者だけは拙者だけ、ということでもち書きます!任せろーい!
猪
2013.05.26 at 07:34 | Edit
解ってくれてる人は解ってくれてるよ。
いい忍者になったね〜。たまにしか会えないけど
活躍ひっそり応援してまっせ!
猪さ〜ん・・・
猪兄が恋しいっすよー!
兄さんも笛頑張ってくださいね!いつかセッションしませう!
From Master | 2013.05.27 at 23:20
しころ
2013.05.26 at 08:41 | Edit
そうだよね。
昨日の教室は装束でなく常の形だったから、より一層忍びとしての心持ちの部分に響いたよ…!ちょうどこのまえ藤林の墓に訪れたというタイミング的にも。すごくいい話を聴けたと思った!!
だよね〜!
忍び特有のあの一字。
やっぱりそこだよな〜って感じましたわ。
解釈むずいしいろんな人見るからぶれるけど、自分の忍者軸ちょっとずつ固めていこー!
From Master | 2013.05.27 at 23:22