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日本初の忍者 〜志能便〜

皆の衆は忍者の起源はどこにあるか、ご存知でござろうか?

忍者の起源にはいろんな説がある。
最近では、韓国が「忍者は韓国発の文化だ」とか言ってたりする。
確かにそのような説もあるのだけどね。

拙者もどれが真実かはわからないのだが、拙者としてはかなり興味深いテーマとして捉えている。
今日はそんな忍者の発祥に関する一題。

第5回忍者検定 中級の部 第22問(配点1点)
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6C末聖徳太子により「志能便」(しのび)として用いられていた、
日本最初の忍者といえば誰か。次の中から選べ。

①大伴細入
②小野妹子
③蘇我馬子
④山脊大兄王
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6世紀といえば日本はまだ古墳時代。
世紀末から飛鳥時代に突入して行く訳だが、この頃推古天皇が擁立され、その摂政となった聖徳太子が、日本の國造りのために目覚ましい働きを見せていたのは、皆もご承知のとおりであろう。

聖徳太子がまだ16歳の頃、日本では1、2を争う力をもった豪族、物部守屋と蘇我馬子が、インドから渡来してきた仏教を崇拝すべきか排除すべきかでモメた。
この思想の違いが決定的な亀裂となり、ついにこの両氏の関係は、武力闘争へと発展していった頃であった。

時を同じくして、現在の滋賀県に位置する辺りに蘇我氏など共に「氏」を名乗る豪族、大伴氏がいた。
この大伴氏、この後西暦800年頃には伴氏に姓を変えている。
そう、甲賀二十一家にも名を連ね、今も川上先生が21代目として忍術を受け継いでいるあの伴家でござる!!

聖徳太子といえば奈良だが、奈良と滋賀は隣り合わせの県でござる。
聖徳太子は甲賀とのゆかりが深いのか、甲賀忍者が崇拝していた甲賀の神社である「油日神社」にも行っているとする資料も残っているらしい。

そこでどんな出会いがあったかはわからないが、聖徳太子は、甲賀馬杉に住む大伴細入(さいにゅう)という者を召し抱えた。
そして、物部氏討伐のために組成された、蘇我氏側の連合軍に参加させている。

記録にはないものの、細入は当該征伐戦において伝えられた軍術をもって忍び入り、様々な功績を上げて、聖徳太子がついた蘇我軍を勝利に導いた。

聖徳太子は細入に対し、この勲功から次の称号を与えたのである。

「志能便(しのび)」と。

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回答:①大伴細入
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これが忍びの始まりだったのでござるね。

だがこの大伴細入は、新羅(しらぎ。今の韓国)からやってきた者で、後の大伴家とは関わりがないという説もござる。
また、細「人」(さびと)とも呼ばれたりする。
これまた謎の多き人物でござるな。

飛鳥時代まで遡って忍者の存在があったなんて、なかなかにおもしろい。
そこから一族の中で忍術を熟成していったのでござろう。

それにしても「細人」というくらいだから、すごーく痩せていたんだろうな。
これでめっちゃ太ってたら嫌でござるw


最近歴史関係の問題ばっかりでござるな。。
忍術・忍器関連、そろそろ来い!!

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忍者検定対策教科書発見! 〜<甲賀忍者>の実像〜

不定期ながらも甲賀忍者検定の解説を試みているこのブログ。
拙者はいつも10冊程度の書籍とネットの情報を参考に研究に勤しんでいるでござる。

参考する書籍によって、1つの事柄に対する解説や捉え方が違ったりするので、まだまだ参考書は欲しいところでござる。
そんな中、忍者検定対策にもってこいの書籍を発見いたした。

教えたくない、、、教えたくないけど。。。
教えちゃいまする!

【歴史文化ライブラリー335 「<甲賀忍者>の実像」 藤田和敏(吉川弘文館)】



注:アフィリエイトじゃありません。やり方わからんもんw

著者は大学の研究員を経て、甲賀市役所に三年間勤め、その後相国寺史編纂室研究員博士となられたお方。
地肌で甲賀の町や人々を感じたツワモノでござる。

甲賀忍者を語るとき、普通は戦国〜江戸時代の万川集海提出までが描かれることが多い。
この本でも、その時代のことは詳細に研究がなされており、忍者検定として一番よく出題される分野「甲賀の歴史」に関してはほぼこれで大局を掴むことができるだろう。

だが、拙者が初見だったのは、そのあと。
幕末において活躍する甲賀古士の生き様まで研究されていたことである。

残念ながら忍術を披露するまでもなかったようだが、戊辰戦争における参戦の記録について、根気づよい研究がなされていた。
この辺りは全くノータッチだったので、非常に勉強になったでござる。

また、明治や昭和に入ってからの現在の忍者イメージの形成についてもつぶさに調べ上げて、研究結果として記載がなされている。

しかも文章が整っていて読みやすい。
なかなかの良書でござった。

今後の研究活動の一助となってくれる書物でござろう。


それにしても、この本の著者のように、自分も甲賀で働きたいでござる。
でも、あのような何にもないところで果たして耐えられるであろうか。。。

いずれは絶対に伊賀か甲賀に忍者屋敷を建てて隠居してやろうと思っているのだが、、
まだまだ先になりそうでござるな。

まずはこの東京で、武蔵一族の忍びとして、てっぺんをとる!


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くノ一について本気出して考えてみた 〜戦国くノ一伝〜

突然だが、皆の衆は「くのいち」と聞いて何を思い浮かべるでござろうか?
官能的な響きに聞こえるのだろうか?
今の世間のくノ一のイメージは、きっとセクシーなお色気担当職業の部類に入るのであろう。
漫画やゲーム、小説に至っても、まぁ色事とセットで描かれることが多い。

試しに「くのいち」というワードで、Google playに掲載されるアプリを検索してみると。。。
https://play.google.com/store/search?q=くのいち&c=apps
やっぱりお色気が多くヒット。

いや、嫌いではないのですがね。。
なんでいきなりこんなエントリ書き始めたかというと、、、
昨日、コンビニでたまたま忍者関連コミックスを見つけたのでござる。
表紙見る限り、結構マジメな漫画なんかな、と思ってついレジで購入してしもた。

【戦国くノ一伝 (影丸穣也)】


家に帰り、わくわくして表紙をめくると・・・

いきなりの壮絶なお色気シーン。

ストーリーとしては、天正伊賀の乱で忍びの里から命からがら逃げ出したくノ一・風子が、信長とその意思を受け継ぐ秀吉を恨み、復讐に燃えて、様々な武将をハニートラップにかけて成敗していく物語である。
ううん。。。またか。。。
だいたいこういう話って浅い。

確かにくノ一の術は、そういった面もあった。
「万川集海」でも、男が忍び込めないような場所に、女性の特性を生かして入り込み、情報を引き出すという術でござる。
一般的には、大名や武家に下女として働きに入ったり、嫁いだりして、そこでの情報を得るというものである。
例えば、予め女中としてターゲットの家に潜入したくノ一が、仲間の「タヂカラ」の進入を手引きをしたりするのでござる。
また、くノ一が取り寄せた荷物の中に別の忍者を紛れ込ませたりして潜入させるといった方法を「隠蓑の術」といった。
この忍術は第4回の忍者検定にも出ているので、覚えておくがよろし。

第4回忍者検定
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忍者が隠れる際に使った術は「陰法十術」。
その中に女忍者があらかじめ女中として潜入し、のち長櫃(ながびつ)などの
荷物を取り寄せ、その荷物に別の女忍者九ノ一が紛れて忍び込む術がある。
その術の名は。

回答:隠蓑の術
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※忍者検定読み本「陣」から取っておりまする。
 読み本の場合、正解以外の選択肢は書かれておらず、満足な解説もございませぬ。。。
 なので、忍者検定の解説メインじゃないとき、たまーにこーやって読み本から関係する問題を紹介しておくでござる!

くノ一の由来は諸説あり、大体以下の2つのどちらかが有力説である。
①「女」という字をバラした説
感じの「女」という字を一画ずつにバラすと、「く」「ノ」「一」となるから。
このため、この説に立つと「く『の』一」と書くのは間違いらしい。
ちなみに男は「タヂカラ」と呼ばれる。

②男と比べて穴が1つ多いよね説
人間の穴は「目×2」「鼻×2」「耳×2」「口」「へそ」「肛門」の9つ。
ただし、女性はこれにもう1つ穴が存在することから「9+1」で「九の一」となる。
(男性も尿道とかあるんだけどなー)


というのがくノ一概説なのだが、拙者も確かに、最初は妖艶なくノ一が好きではござんした。
だが、あまりにもどこで出て来ても変わらない安直な存在とし、本当のくノ一がどうであったかを検討しきれていない薄〜い描写ばかりで、最近は辟易としてきている。

仮に、本当に任務のために操を呈して各武将から情報を手に入れていたとしよう。
いくら身体を売ったといっても、きっと今のそういうお仕事をされている方達よりはお金もらってなかったはず。
ましてや、忍者は傭兵集団であり、特定の尊敬する親方様のために、、という働き方をしていなかったのだから、なんでそこまで割り切ることができたのか、不思議でしょうがない。
武士道的精神からなら自分の身を犠牲にしてでも、というのはあると思うが。。

おそらく時代のせいもあるとは思ふ。
男尊女卑そのものがまかり通る時代である。
今の拙者の倫理観では、到底説明できないような状態だったのであろう。

だが、好きでもない男に抱かれるのはつらくなかったのか。
苦悩はなかったのか。
なぜそこまでして、信頼関係もない依頼主の仕事をこなせばならぬのか。
子でも宿したらどうするのか。

拙者は、そんなくノ一ばかりではなかったと思っている。
もっと誇りをもった素晴らしい忍びがいたのではないかと考えている。
そりゃ少しは女の武器を使っているはずで、それは忍びとしては切り札として多いに使うべきだとも思う。
だが少なくとも、最近のくノ一を題材にした漫画やアニメなどのように、簡単に股を開くようなくノ一は絶対いなかったと思うんだけどなぁ。。

というのは、現代の倫理観から来る問いかけもあるのだが、ちゃんとした根拠として、、
かの「万川集海」でも、「くノ一の術は、最後の最後の切り札で使うべし」と書いているのである。
これは何故か。

くの一の術は、女性をターゲットの側で長く暮らさせたり、肉体関係に持ち込ませたりするわけなのだが、そんなことをすれば、そのくノ一が裏切る可能性があるからである。

女性は感情的な動物であると良く言う。
昔呼んだananとかでも、一回寝ると女の子は落ちるのだ、的なことが書いてあったような気もするw

要は、ターゲットに対する恋心や愛情的な方が大きくなってしまい、それは動物的な感情であるためなかなか押さえることもできず、本来の任務よりも相手方の方についてしまう危険性があるのである。
ここに二重スパイのできあがりでござる。
これほど危険なことはない。

そういった意味でも、今のくノ一のイメージというか扱いについては、なにかこう、納得がいかないのだ。
忍者界において、くノ一は一体、どんな働きをしたのか。
その真実が知りたい。

実際、タヂカラの忍者には名前が残っている有名人がいっぱいいるのだが、くノ一の忍者には、忍者として名前が残っているのは、甲斐・信濃の二国巫女頭領となった「望月千代女」しかいないのである。
他のくノ一達は、いったいどうして、どうやって生きていたのか。
しかも、その望月千代女だって、生没年不詳の謎だらけの人物なのである。

というわけで、今、拙者の中で一番熱い忍者研究テーマが「くノ一」でござる。
一体くノ一は、どのように考え、どのように生き、どのように男忍者と接し、どんな功績を治めたのか。
望月千代女、その統括した歩き巫女をはじめとして、諸々研究しようとしているところでござる。

この謎だらけの分野が一番ロマンがあるからじゃ!
そして、今描かれているようなくノ一ではない、もっと違った一面があることを広められるようにしたい。

と、忍びとしての拙者が、ちょっと真面目に突っ走って来てしまった。

でも、最後に男としての嵩丸として、これだけは言わせてほしい。



正直、妖艶なくノ一とか全然嫌いではない!
むしろ大好きでござる!!ww

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我ら忍び連合! 〜惣〜

また仕事が忙しくなり時間が取れなかったのだが、久々に今日は何にもないので久々の更新でござる。
(いつも言い訳から入ってる気が・・・w)

本日は前回説明することを約束した「惣」について!!


第5回忍者検定中級 第19問(配点:1点)
===============================================
中世後半から戦国時代にかけて甲賀で一般化した同族連合のひとつである
大原同名中惣での物事の決定方法は、先ず何か。

①多数決
②くじ
③神頼み
④長老の決断
===============================================
神頼みって・・・小枝を立てて倒れた方とかそういうことなのかw?


この問題でポイントとなるのは「惣」。
前回のエントリで少し触れたでござるね。
覚えているかね?
声に出して読んでみよう。

そう、「そう」と読むのだよ。
そうそう、あってるよ。


「惣」とは、基本的に皆平等の力をもってすべて会議によって決める自治組織のことと、前回述べ申した。

鎌倉時代で源頼朝が設置した「守護」とか「地頭」。
幕府から各地方の国における警察機能や経済統括機能を与えられた職である。
社会の授業とかで聞いた覚えもあるのではないだろうか?
これらの守護とか地頭とかが、鎌倉時代→南北朝時代→室町時代と、事実上の各国の領主として君臨していくことになる。
最終的にはこいつらが幕府より力を持って、戦国大名となっていくのだがね。

だが、この領主の統治力もまちまちで、地域によってはうまく統治できない領主も現れてくる。

「もう領主なんてあてにできんわ!自分たちで村運営しちゃるわ!」

といって、農民や小豪族達が団結してできた自治組織が「惣」なのである。
「○丁目自治会」みたいなもんでござる。


甲賀でもこの惣が興る。
まずは、「望月」とか「伴」とか、同じ苗字の一族のみで自治体を組んだ。

これが「同名中惣(どうみょうちゅうそう)」でござる。
「同」じ「名」で組織された「惣」ということね。
昔は親戚もみんな近くに住んで、親戚同士で結婚とかもしていたご様子だし。

甲賀の中の惣としては、これが一番小さい組織。
この惣の中でどう運営していくか、これを決めるにあたって、各同名中惣では「掟」を作った。
会社とか社団法人とかでも「定款」をつくるが、それと同じようなものだ。

甲賀に住んでいた「大原家」という一族の同名中惣がござる。
この大原同名中での掟である「定同名中与掟条々」が、今でも残されている。

その掟には、
一、他所と同名とで戦闘が起きたら、決して相手方に寝返らないこと
一、戦闘が起き、鐘が鳴ったら武器をもって参陣すること

など、近くの同名中惣と戦になった場合のルールなどが記されている。

その中に、惣内での意思決定にかかるルールがある。
一、同名の中で諸々の相談がある時は、多数決で決めること。
  少数のものは異論を唱えてはならない。
  万が一紛糾することがあれば、そのときはクジで決めること。


日本の歴史全体を見ると、明治維新までは天皇や幕府による統治制ばかりだったが、この頃から民主主義な地域があったのですなぁ。

=========================
回答:①多数決
=========================

最終的にはくじで決めるらしいが、問題文には「先ずは」とあるので、ぜひとも注意されたし!


ちなみに、甲賀地域における同名中惣は53家分あった。
これが後に語られる甲賀五十三家なのでござる。

そして、この「一族連合」である同名中惣を、更に甲賀地域内で連合させた「地域連合」体が「甲賀郡中惣」でござる。
要するに甲賀では、
・地域をベースにした自治組織である「甲賀郡中惣」
・同じ苗字の一族をベースにした自治組織「同名中惣」
の2つにカテゴライズされるのでござるよ!


拙者・嵩丸も同名中惣を組みたいが、、、、

まだ元服していないので苗字がないのだっ!!!

いずれ忍びとして一"忍"前になったら苗字をつけようと考えている。
だけどまだ良い苗字は思いついていない。。。。

多分募集してもコメントなんてないだろうけど、拙者に似合う姓、募集中です!!!w

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忍者の溜まり場 〜油日神社〜

もうすぐ年の瀬、そして新年を迎えようとしているでござるね!
これから忘年会の嵐。。。
また太る冬が始まってしまった。。

さて、皆の衆は初詣に参る神社・お寺は決まったでござろうか?

今日は拙者の中で「今一番行きたい神社ベスト3」に入る神社に関する問題。
このエントリを読めば、きっとそなたの来年の初詣は決まりですな!

第5回忍者検定 中級の部 第18問(配点1点)
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中世から戦国時代、甲賀武士たちの信仰を集めた矢川神社と共に
甲賀郡中惣の集会の場所となっていたとして国指定史跡となったのは、どの神社か。

①多賀神社
②油日神社
③大鳥神社
④田村神社
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忍者検定は甲賀市観光協会が作っているため、忍者にかこつけていろんな郷土の名所に関する問題が出るため、特に神社に関する問題は多いでござる。
なので、甲賀市にある神社は押さえておくべし!

設問にある「甲賀郡中惣」とは、一言でいうと甲賀地域における「合議体組織」である。
「惣」とは、リーダーがおらず、権力の多少はあれど基本的に皆平等の力をもってすべて会議によって決める組織のことをいう。
同盟国家のようなものでござる。
ちょうど次がその「惣」についての問題なので、詳しくは次に述べようぞ!

んで、問われているのは、その甲賀郡中惣での集会所となった神社。
要するに忍者の溜まり場だ!
何かを決めるとき、相談するとき、各々の家長はその神社へ集まったのでござる。

その神社がここ「油日神社」。

拙者はまだ行ったことがないので、写真を持っていないのだが、、、
↓のブログがすごく写真も大きくわかりやすいのでリンク貼らしていただきまする。

神社のある風景

大河ドラマ「平清盛」を見てた人、3年ほど前の二宮くんと柴崎コウが出てた映画「大奥」を見てた人、なんか見覚えはないかい?

そう、「平清盛」では、マツケン演じる清盛と加藤あい演じる明子がちょくちょく訪れた神社であり、「大奥」では、二宮くんと堀北真希が最初に落ち合っていたシーンで使われた神社でござる。

そんな皆のミーハーな心もくすぐるが、何よりも注目いただきたいのは、↑でのブログで「拝殿」と称されている、真ん中に立つ社。

うん・・

集まって話し合うなら絶対ココだよな!

ご想像いただきたい。
暗闇の中、拝殿の中に集まる忍び53名が、部屋の中央に立てられた小さなろうそくを囲んで密談。。。
どっかの映画で見たことがあるような風景が浮かんでくるであろう。

この油日神社、祀られているのは火の神「油日」である。
また一説によると、その昔は神社でも神仏混合で仏教系も祀っていたりしたのだが、そのときの仏様は摩利支天の風の神であったりと、忍者が崇拝するにはうってつけの神様・仏様でござった。
甲賀五十三家の氏神とされている。


ぜひ53名の忍者を集めて、この油日神社の拝殿内で、ちょっぴり酒を交わしながらも密談したいでござるな!

次甲賀に行くことがあれば拙者は立ち寄ろうと思ふ。

皆も来年の初詣は「油日神社」へ、レッツ忍!!!

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